2013年8月10日土曜日

「共存出来ない」、当たり前のことなのだが

以前目にした福島の人、避難してきたと思われる人。その人の“言葉”が忘れられない。
「当たり前って何んなのだ、当たり前なんてもう信じない」

昨日の長崎の原爆祈念日。「核と人間は共存しない」。そんな言葉があらためて行き交っていた。
当たり前なのだ。

少なくとも一昨年の3月11日以降、日本人は、いや人類は、あの制御不能となった原発事故を見て、そう思ったはずなのに。

当たり前のことなのに、長崎の日に、それをまた言わしめるということ。
原爆や原発の被害者に言わせるということ。

共存できると思っている“傲慢”な人間がいるということだ。

原発は日本人が選択したものだ。科学者たちも共存できると思いあがっていた。
制御不能の実態を見ながら、なお、原発を語る愚かな学者どもよ。
その後押しを受けて、「懲りない」面々が跋扈する。

後ろにアメリカの“影”はあったとしても原発を選択したのは日本人。
広島、長崎は、何らの選択もしていない。アメリカが勝手に落とした。

原発という選択肢は、成長をしなければならない国にとって、当たり前のことなのだろうか。逡巡しないのだろうか。

福島の30キロ圏内の人は、いや、風下の人たちは、「当たり前」だった生活を奪われた。当たり前の生活に戻りたいと皆思った。
月日の経過は、その願いをくじき、諦めをもたらした。

一年目、「故郷に帰る」。それが当たり前の願いだった。
二年目、避難生活に疲れてくる。そこで生まれるさまざまな“しがらみ”。
三年目、あきらめ・・・。

時間の経過は、被災者の苦悩をより深く、複雑にしていく。なっていく。
遅々として進まない。何事も。

現場でも汚染水のくみ上げが始まったという。焼け石に水だ。
海洋汚染の範囲は拡大している。
すべてがお手上げ状態のまま。

原発は一朝事あると制御不能。人類に恩恵をもたらしていたとしても、共存できるものではないとだれしもわかった筈なのに。
何に期待すれないいのか・・・。

間もなくお盆。墓参りのために可能なところでは修復作業が続けられている。
原発構内では、酷暑の中、作業員の苦闘が続く。士気はいかに。精神力は・・・。

首相は夏休みに入った・・・。


長崎市の田上市長の平和宣言、見事だった。当たり前のことを言ったにすぎないのだが、それが立派だ、見事だと思えるということ。

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