2014年9月1日月曜日

「学びて時に之を習ふ」

「学びて時に之を習う、また説(よろこば)しからずや」。論語の冒頭、学而編1章にある言葉。

勝手に解釈している。学んだら、そのままにしておかないで、時々はそれを習う、復習する、考える。それが大事であり、“よろこぶべき”ことなのだと。

だから、この後に続く、「朋あり遠方より来る・・・」も、その友とは一緒に学んだ人達ということだと思っている。その友と学んだ事を語り合えることが楽しいと。

「知る」ということは学ぶということの基本だ。知ったら忘れないように刻みこむ。そして考える。

新聞の歌壇の一句を借りる。

広島の人が詠んだ句だ。

「広島に育ちて毎夏ヒロシマを学びて思う“知らぬということ”」。

あの悲惨な体験をした広島の人が、あらためて「知らぬ」という思いを発すること。

東北の被災3県の子どもたちが、福島の子どもたちが、体験したこと。知ったこと。知らなかったこと。
子どもたちが何を学び、何を常に考えているかということ。

特に福島、そこは、国の中にあって「知らぬ」という認識に置かれていくのではないか、いや、現在進行中かもしれない・・・。

今日は防災の日だという。記念日好きのこの国の人達は、この日に合わせて、「防災」のさまざまな催しを行う。

なぜ今日が防災の日か。大正11年だったか。関東大地震があった日だからだ。

首相官邸には防災服姿の閣僚や関係者が集まり、中央防災会議を開き、首都直下型地震が起きた時の対応を話し合ったという。

緊迫感皆無の集まりにも見えるのだが・・・。それは「僻目」なのだろう。

「備えあれば憂いなし」って諺にもあるくらいだから。

“天災は忘れたころにやってくる”。寺田寅彦の名言を3年前、何回見たことだろう。誰もがそれを引いて、あの日の事を語り、つぶやきしていたが・・。

今日は暦でいう二百十日だ。自然災害が多い時期とされてきた。

広島の大惨事。「山津波」と言えば分りやすいか。広島の光景は3年半前の南三陸一帯の光景と重なる。デジャブ観を伴って。

海が怖いからと言って、山や内陸の町に引っ越しても、そこでは、土砂崩れや洪水が起きる。
どこへ行っても自然災害からは逃れられない。

想定外の豪雨だったとされる。たしかに想定外だ。でも、それは「通用しない」ということが、三陸でも原発事故での“証明”された。
先人が鳴らした「警鐘」だって数多くある。
それらは、みな「忘れられて」いた。知ってはいたけど、生かされなかった。“習って”ないからだ。

日本は自然災害がつきものの国だった。その荒ぶる自然といかに折り合いをつけて生きていくか。先人たちは様々知恵を絞った。しかし、それらの多くは経済成長と共に「忘れられて」来た。

砂防ダム。現代文明の一つの知恵だ。しかし、それですべての山津波が防げるのか。巨大防潮堤で、海嘯を防げるのか。

自然災害からは逃れられない。逃げることしかない。避難とは、逃げることだ。

東北の地に、それを想定した国土計画が施されていたら、逃げ道は確保されていたかもしれない。
原発事故がその逃げ道さえ「知らされなかった」。

福島県民のあの時の「逃避行」・・・。

原発再稼働。避難手段は、避難先は、避難経路は・・・。それが確保されているかどうかは、再稼働認可の条件では無いという。

防災会議。全国規模の防災運動。そこで、原発避難に関わる“防災”が討議されたのかどうか。

東京の世田谷に親戚がある。そこへ行く途中、蛇崩れというバス停がある。地名がある。
「大昔、そこには蛇のように蛇行した川があって、大雨でそこが崩れて災害があったとこなんだよ」。昔、そこの祖母が教えてくれた。

自然災害の「歴史」は、どこかそこの地名とも関わり合いを持つとも言われる。

先人が付けた地名こそ、最善の「防災」思考につながるとも思えてみたり・・・。

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