2011年12月31日土曜日

年の瀬雑感 終わりと・・・

忌まわしい2011年があと数時間で終わる。

この年は3月10日で止まっていればいいなとつくづく考えてしまうことも。

3月10日までは、それがどんなものであろうと、人々は「普通の生活」をしていたのだから。

3月11日夕方からすべて「普通」でない生活がはじまった。そして、多くの死者を生み、多くの流浪の民が生まれた。

テレビは年末報道番組であの大津波の模様を繰り返す。それを是とするか非とするか。見る人の心模様で変わる。

そして年末年始の特番合戦。5時間、6時間スペシャル。恒例とはいえ、見たいものは無し。

そして大晦日のきょう。ゴールデンは紅白を中心に回る。歌には力があり、演出も東日本大震災を念頭に置いてというけれど。

今年の締めくくりのテレビがこんな番組のばかりでいいのか。

日本のすべてが壊れた。物理的にも精神的にも。今年の漢字は「絆」ではない。
年末にあたって考える。一文字だとしたら「壊」だと。

国土が壊され、生活が壊され。たしかに絆は生まれていた。しかし、絆の前にあったのは壊。

それを象徴するのが政治。政治は、統治機構は壊れた。年の終わりになっても壊れ続けている。
二大政党政治。その「まやかし」。そのための小選挙区制。

民主党離党者が新政党を作るという。その政党名が「絆」だと。だれかが上手い事を言っていた。「きず(を)な(めあう)」のきずなだと。
政治は完全に壊れている。政治家と被災地の間に絆はない。

壊れたあとは誰かが後片付けをしなくてはならない。壊れた瓦礫処理にはかばかしい進展がみられない。人もこころも壊れてしまっているから。壊れた心の後始末・・・。

今夜の紅白で長淵剛は歌という。新曲「ひとつ」という曲を。これだけは聞いてみようと思う。なぜか。原発事故に驚いた長淵は故郷の鹿児島に逃げた、疎開した。そこで海と戯れ悠々自適の生活をしていた。
その彼を襲った「自責の念」。自分を責めて、被災地に向かい、自衛隊を励ました。

長淵が言う「自責の念」。壊れた心に普通の心を取り戻させた彼の「意思」。それを歌からききとれるかどうか。

一年が終わる。終わりがあれば始まりもある。あすから何が始まるのか。無いかが変わるのか。変化の様を見続けたい。

9ヵ月前。民放テレビがようやくCM枠を復活させた頃。報道番組の合間に登場してきたAC公共広告機構のCM。あの時はほんと嫌だった。「ポポポ~ン」。魔法の言葉で、素敵な言葉でポポポ~ン。愉快な仲間や友達できるよ。

魔法の言葉も、素敵な言葉も無かったけど。なぜか今になると懐かしい。凍えたこころを温めてはくれなかったけど。

ボランティアや自衛隊に「ありがとう」と言い、「お互いさまだから」と悲劇を受け止める人達がいた。そう、「お互いさま」。この言葉と心根だけが壊れた日本人の心を取り戻せるものかもしれない・・・。

一生忘れないけど、今は言いたい言葉。「2011年よ、さようなら」。

2011年12月30日金曜日

年の瀬雑感 その二

多分、今年最後の「仮設」詣で。東京から送られて来た手編みひざかけを持って。到来物の品々おすそ分け持って。

仮設に配られたゼンリンの住宅地図。その地図見ながらの「ふるさと談義」。

「オレのところの村長は立派だぞ。きのう全戸を回って挨拶していった」。どこか誇らしげ。信頼されている様子。垣間見たリーダー像。

そして向けられる永田町への厳しいまなざし。

慣れ親しんだ犬が飛びついてきました。抱かれると「もう放さないよ」ってな具合。この犬はよかった。連れてきてもらえたから。

「強制避難」させられた地域には多くのペットが残されたまま。この寒さ。どうなっているのだろう。それを思うとやり切れない思いの飼い主。

明日夜にはカレンダーを変えるという。年が明けるとすぐ3月がくる。3月は来てほしくないと病み上がりのじいちゃん。
ひざかけ肩にかけてピースサインのばあちゃん。

「原発反対って言わない人は、皆、おいしい思いをしている。森永さんもおいしい思いをしたんでしょ」。俳優の山本太郎。ヒーロー。一部メディアの。テレビ朝日が会う夜福島からやる朝まで生テレビ。それのパネラーにもなっている。

「おいしい思いなんかしてませんよ」。苦笑する森永卓郎。昨夜のTBSの番組。

決め付けての議論、持論。なんだか怖いこの国の今の空気。

「人の心と科学の距離」。きょうから始まった朝日新聞の連載。「リスク社会」にあった言葉。

放射能が列島を分断する。不安は家族をも分かつ。人々は福島を避ける。不安と科学はすれ違う。そして、歴史は繰り返す。この「リスク社会」という特集に断片的にちりばめられた言葉・・・。
天使人語にちりばめられて言葉のいくつか。「放射能もはっきりしてくれ。進む覚悟が決まればがんばれる」。避難している人の言葉。「何でも絆でくくると。収まりのいい物語になってしまう」。作家の言葉。「長期戦に入り、みな疲れている・・・人生はマラソン、頑張らない時間を作り、エネルギーを蓄えたひとが勝つんです」。作家で医者の言葉。そして倉本聡「日本と言うスーパーカーに付け忘れれた装置が二つある。ブレーキとバックギア」。

歴史は繰り返す。
「戦争時、強硬派は戦争を知らない若手が多かった。今こそ昭和と向き合う必要がある時代」。俳優の役所広司の言葉。またも思い出すブスマルクの至言。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」。

絆でくくるな。孤族でくくるな。リスクで括るな。この歳末風景。一つの言葉ではくくれない。いくら言葉を使っても語れない。

読み始めた糸井重里の「できることをしよう」。瓦礫に中を走るクロネコのクール宅急便。川内村を書いた作家、たくきよしひろの「裸のフクシマ」にあったほぼ全村避難の川内村をクロネコのメール宅急便が走っていた。一通のメール便を運ぶために・・・。

普通でなくなった今の社会。だから普通の話が胸を打つ。

2011年12月29日木曜日

年の瀬 雑感

年末の事を「年の瀬」ともいいます。「瀬」。はい、ワタクシめの名字の一字ですから「瀬」を使わしてもらいますと・・・。
「瀬」とは水しぶきをあげて流れる急流のことを言うのだそうです。あわただしさを表すための表現。年の瀬。

そう言えば百人一首にもあった。「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に会わんとぞおもふ」。むすめふさほせ。「せ」と聞こえたら「われても」の札に即座に手を出す。うんうん、子供の頃の遊びは百人一首だった・・・。

年の瀬、年末、歳末―。たしかにあわただしいです。人の動きや、雰囲気が。
何があっても、年末は年末。正月は正月ということなのでしょう。

被災地でも、それなりの年末や正月の光景があるのでしょう。テレビはもっぱら仮設の餅つきの様子を伝える・・・。

早くもUターンラッシュなんて言葉も聞かれるようになりました。
東北の被災地に向かうUターンラッシュの列が多ければ多いほどいい。
どんどん帰って欲しい。被災地を見て欲しい。感じて欲しい。

昨夜、大阪から帰省した奴と飲みました。震災以来何回も帰ってきてはいるものの、話せば話すほど話題は尽きず、彼自身も認める「温度差」。

放射能騒ぎが尽きない福島県。どれほどの家族が帰省するのでしょうか。
「孫と過ご正月が何よりの楽しみだったのに・・・」。じいちゃん、ばあちゃんが嘆いています。帰省を止める。放射能が家族の「絆」を断ち切っている。

孫にお年玉をあげて楽しく過ごす。そんなささやかな日のあったことが出来なくなった。毎年の恒例行事が出来なくなった福島県の家族の現実。

きょう仕事を終えて新潟に避難している妻子のもとへ急ぐ父親がいます。新潟のアパートで過ごす正月。福島に暮らす両親のところへは孫を連れて行かない。行けない。

都会の歳末光景を映し出すテレビを見ながら、仮設で暮らすお年寄りたちはどんな思いが去来しているのでしょうか。いや、仮設だけではない。普通の家でも。

あわただしさの中に忍び込んでいるむなしい思い。

「割れても末に会わんとぞおもふ」。そんな瀬。年の瀬。

2011年12月28日水曜日

はっきりカタをつけてよ♪

山口百恵の往年のヒット曲。「絶体絶命」。
そのなかのおなじみのフレーズ♪はっきりカタをつけてよ、やってられないわ~~♪

同じく百恵ちゃん。プレイバックパート2。♪ばかにしないでよ~そっちのせいよ♪

別に今年をプレイバックしているわけではないけれど・・・。
絶体絶命、ばかにしないでよ。なぜか今の福島県。

中間貯蔵施設を双葉郡に。お国からの要請。予測されていたこととはいえやはり来るものが来た。

双葉郡のどこなのか。細野は一か所と言ってるらしいが。県知事は相変わらず「地元とよく協議して」。「重大なことと受け止めている」。

関係市町村の反応は様々。仕方ないと言う人もいれば許せないという人も。
「住民の意見集約」。どうなるのか。

貯蔵施設作れば、まず30年は戻れない。戻るという選択肢は無理。住み慣れた故郷を捨てること。

来年には、居住3地域の「選別」もある。長期帰宅困難地域。帰宅っていったって30年も放って置いた家はもう住めない。「帰宅」という文字がまやかし。

中間貯蔵施設と言っても、固定化の懸念あり。30年後の政権が今の政権の約束を履行できるのか。

福島の悲劇はむしろこれから始まる。土地を国が買い上げ、家も買い上げ、新たな場所に町を作らねば。

わかってはいるけれど諦めきれない。そんな心境の双葉郡の住民。

他人事のようだけど、もう、はっきりカタうぃつけた方がいいかも。何千人もの大移住。それは宮城、岩手の被災者も同じだが。家はあるのに戻れない。

まさに、「ばかにしないでよ」。

原発事故。その不条理の中で煩悶しながら、自分たちでの選択肢を持ち得ない人たち。

それにしても、なぜ今、この時期になっての「言い渡し」なのか。中間貯蔵施設にしても、帰宅困難地域にしても。とっくにわかっているはずなのに。

「どんな悲しみや苦しみも必ず歳月が癒してくれます。そのことを京都では日にち薬と呼びます。時間こそが心の傷の妙薬なのです」。瀬戸内寂聴が呟いている。
それはそうかもしれない。でも、この「日にち薬」を逆手に利用したような国や東電のやりかた。福島県に「日にち薬」は無い。

日を追うごとに心の傷が増している。

はっきりカタをつけてもらうしかないのか。自分たちでカタをつけなくてはならないのか。そう、まさに絶体絶命。

今年もあと3日。

2011年12月27日火曜日

視点・能力・想像力の欠如

政府の原発事故調査・検証委員会の中間報告。紙面を読むのにおおいなる時間を費やしました。
これまでも五月雨的には出て来ていた事柄ももちろんありますが、あらためて愕然とします。

何という無策で無能な政府に身をゆだねざるを得なかったのか。
新聞の見出しにおどる「全体像を見る視点の欠如」という文字。それが問いかけるもの。

あらためていいます。菅内閣であったことが日本国民の大いなる不幸であったということ。不運であったということ。そして福島県知事が佐藤雄平であったということ。

どこまで真実に迫っているのかはなはだ疑問ですが、この政府の調査委員会であっても、官邸が全く機能不全に陥っており、マヒしており、有効な手だてがなんら講じられなかったことがはっきりしています。

官邸の5階の首相執務室なるところと地下にある危機管理センターとの“分断”。

なんで菅は地下に降りていかなかったのか。ヘリに飛び乗って第一原発に行ってどなりまくって帰ってきたのか。東電本社に乗りこんで、「東電はつぶれるぞ」と脅したのか。

彼には宰相としての能力は皆無だった。「東電はつぶさない、だから、皆しっかりやれ」。それがトップの言葉。

たぶん、事故を起こした途端に東電の幹部や社員は「これでこの会社は終わった」と思ったろうに。

膨大な量の中間報告。さらに最終報告もいずれ出されるという。しかし、この調査検証委員会には責任を追及する権限は無い。それをもとに国民がどう判断するかだけ。

では、国会に出来た、それこそ偽証罪にも問える権限を持った事故調査委員会。ほとんど動いていない。そして、国会の中では常に真実の追求や真相究明は「政治的思惑」の中で埋没していく。
あの時、官邸5階。菅の周りにいたのはおべんちゃらばかりのお茶坊主だけ。「虚偽の記者会見」を続けた枝野。何のおとがめも無し。原発に関わる経産相として居座っている。「反省しています」とコメントはしたようだが。

思い出しますね。あの頃テレビに連日出ていた学者やNHKの水野や山崎といった解説委員。格納容器がある隔壁があると「安全」を言っていた。

菅に言い訳させるために出演させるテレビ局。

SPEEDIの計測を隠した奴ら。福島県庁にもFAXで届いていた。公表はしなかった。なぜ。公表するのは国の仕事だからとか。

バカいってるんじゃないよ。

双葉警察署の署員が原発爆発を確認した。無線で県警本部へ。県警は各所に問い合わせる。県は未確認だという。県警は県警の責任で「爆発」を公表した。

福島県は原発立地県である。そのトップの県知事は「もし原発事故が起きたら」という想定も想像もなかったのだろう。国の責任じゃない。立地県として、国に歯向かってでも県民を守る行動に出るべきだったのに。

国のせいだ、東電のせいだ。違うよ。あんたの責任も大きい。

その無能びりを天下にさらした菅。どう責任をとるのか。菅を海江田を枝野を。裁判にかける方法はないものか。

平成23年3月11日午後2時46分までは日本は「平和ボケ」した国だった。

問われ続け、語り継がれ、風化させてはならないのは震災のことだけではない。
あの時、日本という国はこんな奴らが中枢にいたという悲しすぎる政治の実態。

今年もあと4日・・・。

2011年12月26日月曜日

権利と義務

きのうのTBSの15時間番組。「報道の日、2011.記憶と記録とそして願い」。久々の大型報道番組。きのうも書きましたが、テレビとしての伝えるという範疇の中での義務はおおかた果たしていたように思います。知る権利などどいう得体のしれない物は前面に出さず。
“アッパレ”といいたいところだけど。

夕方5時半頃からはじまった原発コーナー。ブラックボックス、官邸の5日間。再現ドラマの手法とって。これがどうにもいただけなかった。マンガだね。

それはそうとして、菅も海江田も枝野も東電も。全部インタビューでは「言い訳」ばかり。核心をついたもの無し。隔靴掻痒、靴の上から足をかくような。

誰が悪いってことばかり。菅は東電を悪者にし、海江田や枝野は言い訳。福山メモも消化不良。

3・11。あの時のこの国の指導者がリーダーが菅であったことがこの国の最大の不幸だった。もう何回も書いているけど。

真のリーダーは言い訳はしない。全ての責任は自分にあり。自明の理なれど。

愚にもつかない東電の話聞いていると、いささか前の話。電気料金値上げ話。「料金の値上げを決めるのは電力会社の義務であり、権利である」。そうしっらと言ってのけた西沢社長。日本語の使い方を知らないのか、何もわかっていないのか。

権利と義務。中学校で習いましたよ。義務を果たして、はじめて権利を得ることが出来るのだと。

とりあえず一民間会社が値上げするのが権利だ、義務だ。義務とは安定供給することだけ。

この東電の発想が「無主物」という発想につながる。放出された放射能汚染は土壌に付着した以上、その土地の所有者のもので、東電のものでないという強弁。

そして国に援助を求めながらも、カネさえはらえばいいんでしょうっていう賠償金話し。

建設の時からそうだった。なんでも、カネ、カネ、カネ。その思想が事故後も続いている。被害者もそれに慣らされていく。

生存権が破壊され、居住権もはく奪され。無主物に悩まされ。

中学生の時に習った憲法。権利と義務。あれは・・・。

だから、メディアのお願い。権利ばかりを主張しないでね。義務を果たしてね。
政治家にそれをお願いしてもダメなんだし。

今年もあと5日。2011年の終わりの前の戯言。

2011年12月25日日曜日

映像の力

TBSの15時間特番、「報道の日」を見ていました。

あの津波の様子は言葉では伝えられない。言葉では言い表せられない。
番組の構成がどうだ、出演者がどうだと言うことは問題ではない。

これまで、何回も見た映像もあるけれど、こうやってまとまってあの日の映像を見ると言葉が出ない。

テレビと言う物が「進化」をとげ、テレビのみならず個人がビデオカメラを持つようになった時代。携帯電話で動画が記録出来るようになった時代。

集められた映像の力。そこから人はあらためて何を感じとるか。記憶を呼び覚ますことも必要かもしれない。見ない方がいい人もいるかもしれない。

今の時代に起きた今の時代の惨事。

時には冷徹にさえ見える映像だが、見ながら覆われてくる無力感、脱力感。

あの日の数日間は興奮状態にあったと思う。あの時と今とでは伝わり方が違う。

あの映像の前では、ともすれば思考停止に陥る。逃げる。そのことしか出来ることが無かったという事実。

「防潮堤がなんだい」「防波堤がなんじゃい」。カメラを回しながら叫ぶ男性の声がすべてを物語っているような。

取材に行った記者もカメラマンも、本社で見ていたデスクもその他の局員も。自分たちの「仕事」についてあらためて考え入ったはず。

「その後」の報道についてはいろいろ論議がある。しかし、テレビに映し出された映像は、どこかで“編集”という手が加えられていたとしても、事実の断片を冷酷に物語っている。

2011年3月11日。あの日がどういう日だったのか。
映像がよびさまさせてくれる記憶。見ていなかった事実。さまざま、映像の力を思う。伝えることの大切さを思う。

クリスマスだから思うのか。あの地震、津波は決して神の仕業ではないと。神の業にしては、もちろん聖書の記述にはノアの洪水やバベルの塔の“逸話”が記されているけれど・・・。
映像を前に語るべき言葉を持たない、持てない。あの事実だけは風化しない。

2011年12月24日土曜日

サンタクロースと笑顔と

きょうは、今夜はクリスマスイブ。今日を最高潮に全国に「サンタさん」があふれました。

サンタクロースの本名はセントニコラウス。聖職者。サンタさんがクリスマスイブに子供たちが用意した靴下の中にプレゼントをおいていく・・・。こんな行事がいつから定着したのかよく知りませんが。

子供にとってはまたとない楽しみごとであったのはたしか。ませガキの亭主はとっくにその正体を見破っていましたが。

サンタさんはきのうもきょうも大活躍の様子です。被災地を多くのサンタさんが訪れているようです。

子供たちは一様に大喜び。親も。子供たちの笑顔は仮設にもはじけていました。
子供の笑顔を見ると、笑い声を聞くと大人たちも笑顔になれる。子供たちを“慰問”に行ったサンタさん達が、逆に子供たちから元気を貰って帰ってくる。

今年のクリスマスは、いろんな意味で「特別なクリスマス」なのだ。

新潟に妻子が避難している「時々我が家の居候」も、今夜、仕事終わりで、新潟に向かう。トナカイさんの橇ならぬ愛車を駆って。おりしもクリスマス寒波の予報。磐越道は大雪だろう。吹雪いていたら危険。でも、彼はサンタの役割を果たしに行く。子供の喜ぶ顔が見たいから。明日未明には郡山に向けて出発の予定。

クリスマスイブ。全国の教会ではミサや集会が催されます。神父や牧師は何を語るのか。ものすごく興味があります。何を語りかけるのかに。

ケセン語に聖書を翻訳した、被災者である大船渡の医師、山浦玄嗣さんは教会に行って何を祈るのか。それを知りたい。

きのう大阪の毎日放送が制作した佐渡裕指揮による「1万人の第九」。歓喜の歌の大合唱。気仙沼を結んで。

歌の力、音楽の力を感じる。兵庫県のメイン会場。その合唱団の中に郡山から大阪に転勤している「ポン吉」がいた。何回も練習したらしい。彼の顔は発見できなかったけれど、多分、郡山にいる妻子の事を思いながら、万感の思いで「歓喜の歌」を歌っていたのだろう。歓喜の歌、それは、神への祈りの歌。
歓喜の歌は鎮魂の歌だった。

神の言葉は、声はもちろん聞くことは出来ない。だからその代弁者がベートーベンだった。

今夜の教会。神の「代弁者」。取り次ぎ人である聖職者達が、どう神の声を伝えようとするのか。

「絆」だ、「寄り添う」だ、そんな上っ面な言葉はもういらない。胸に響き、忍び入る言葉がどこかで発せられるのか。

「サンタさ~~~ん」。大声で呼びかけにわかサンタを無心で追いかける子供。
来ないと思っていたサンタさんが登場した喜び。
「ありがとう」という声掛け。「ありがとう」という子供も言葉に癒される大人。

そう、やはり今年のクリスマスは特別なクリスマスなのだ。

2011年12月23日金曜日

「出来ることをしよう」

「出来ることをしよう~ボクらが震災後に考えたこと~」。糸井重里さんの編著による本が出ているらしい。まだ買ってないし、読んでないけど、近々買いに行くつもり。読むつもり。こうやって、やたらと本を買い、積んでおいてしまっているような気がするけど。

読みたい本、読まねばいけない本が多すぎる。読書能力を超えている・・・。読破出来ない。

なぜこの本に興味をひかれたのか。もちろん論文でもないし、文学でもない。気持がわかるから。そうしたいと思っているから。彼の文章やつぶやきには「優しさ」があるから。

たまたま震災後の塾で塾生に言った。「それぞれが出来る範囲で、やれることをやろう」と。いつもと同じように、仕事に精を出すのも「やれること」だと。

きょう郡山に子供の遊び場がオープンした。「PEPキッズ、郡山」という施設。前にも書いたけど、大手スーパーのヨークベニマルが持っていた建物を改修して、用具を入れて3億円。それを市に無償で貸与。放射能に悩む親や子供たちに提供した。
塾生の何人かがその運営に関与しているらしい。

遊具や砂場で遊ぶ子供たち。思いっきり身体を動かして跳ねまわっている。そうこなくっちゃ。

親戚からまた手編みのひざかけが送られてきた。仮設の人へのプレゼント。

それぞれが、それぞれの生活に大きな負担を掛けない範囲で、誰かのために何かやる。出来ることをやる。

当たり前のことのようだけど、当たり前が当たり前で無くなったような時代。震災がもたらした“プレゼント”かもしれない。

ちょっと想像しただけでも、雪かきを手伝っているボランティアがいるかもしれない。足腰がままならないお年寄りの送迎をやっているかもしれない人達がいる。
PEPで子供達の遊び相手になってる若者達がいる・・・。

そして、そんなことを思うたび、このところとみに思うようになった。「俺は何をしてるんだい。何にもしてないじゃないか」という自責の念。

「出来ることをしよう」。でも、それに“共感”しながら、結局何も行動してないような自分。

「俺に出来ることは書くことだけ。からかた亭は年中無休で営業させよう。しよう」。そう宣言して書き続けて・・・。

もしかしたら、遠くの“お客様”には飽きられているかもしれないけど、せめて、せめて、これだけのことぐらいしないと・・・。

きのうも番組のことで電話してきた東京のテレビ屋さんが言ってくれた。「毎晩寝る前に必ずみることにしてますよ。本当です」と。それはそれで非常にありがたいけど、なんかちょっと出来ることってあるはずなんだけど・・・。

2011年12月22日木曜日

半旗を揺する虎落笛

仙台に住んでいる旧友、山河弘道から封書が届きました。川柳の同人誌。冊子の名前は「杜人」となっています。「とじん」と読むらしい。

その発行人が山河弘道。ペンネームというか句号というのか、「舞句」という名前を持っている。山河舞句。

舞句。そう、彼は往時NHKのアナウンサーでした。一時は全国ニュースも担当していた。彼と知り合ったのは彼がNHKの郡山支局長に赴任して来た時。同い年。もう一人、FCT,福島中央テレビに中山寧という男がいて、これも同い年。会社は違うけれど、なんとなくウマが合い、よく飲みに行き、会を作ったり・・・。
元アナウンサーだからマイク、舞句。郡山時代から飄々とした川柳を読んでいました。
中山はもう鬼籍に入ってだいぶ経ちます。

NHKと定年退職後、故郷の宮城県に帰り、仙台に居住し、句作で活躍していると聞いていました。震災後、彼の事が気になり、当ブログに書いたことあってのですが。

その彼から送られてきた近況と季刊詩「杜人」二冊。
「娘がインターネットをいじっていて、貴兄の文章を発見。小生のことまでとりあげていて「くれているようで感謝」からはじまって、やはり川柳関係の仕事に携わっている現状。そして、たまたま内陸部に住んでいたので直接の被災は免れたものの、放送関係者や取材で知り合った人など10人を亡くしたと。

たまたま命を長らえた者として、生涯、震災を引きずりながら作句していくと。

亭主の賀状の文面を引き、「首を回らせば70余年」ですか、良寛ほど達観は出来ませんが、くたばるまで、自分も含めた愚かな人間と愚かな社会を看破していきたいと結んでいました。

添えられていた一枚の紙。川柳集 明日への祈り、東日本大震災と書かれた表紙。現代川柳臨時増刊号とされており、発刊したのは神戸の会社だとか。4月号。一番早く発刊された震災川柳集だとか。そこに彼の句が数首載せられていました。

「怒怒怒怒怒・・・・・・(途中から怒の字が反転されて7文字)怒怒と 海」

多分、宮沢賢治の風の又三郎の冒頭、「どどどどどうど どどうどど」をもじったものかと。

背を丸めただただ祈る震度七
漆黒の海へ我が子の名を叫ぶ
避難所の赤子泣け泣けたんと泣け

もうかつてのような粋でユーモラスな句を作る気にはなれない。時事川柳や社会吟を作っていくと手紙に記されていました。杜人の中の彼の句には福島を詠んだ句も沢山ありました。

福島が泣く「フクシマ」という汚名
放射能汚染父祖の田累々と
深呼吸禁止半径2キロ

東北を削ると題した句集には・・

日本人だな避難所に結いがある
仮設から仮設へ乱れ飛ぶ訃報
振り向けばもう狂ってはいない海
東北を削る重機も秋の音

手紙の最後、欄外に“最新作”が記されていました。

我が胸の 半旗を揺する 虎落笛

手紙で彼の電話番号がわかりました。これから電話してみます。

2011年12月21日水曜日

卵8割減、鶏肉5割減・・・

久しぶりに農場主と会った。その後どうしているか気になっていたので。
彼の農場の主力商品は鶏。鶏肉と卵。有機栽培で育てた鶏。これを使った親子丼は絶品。

淡々として彼は語る。「卵の出荷は8割減、鶏肉5割減ですよ」と。全国的にそこそこ有名な彼の農場の鶏。県内だけでなく県外の取り扱い多い。取り扱うところが減ったという。いや、激減。もちろん卵も鶏も「未検出」なのだが。

彼の友人の酒蔵も取り扱いが急激に減ったという。福島市の大波地区で米からセシュウムが検出されて以来。

卵の出荷は明日までと言う。農場の“最後”の卵、買いにいかないと。鶏肉は来年2月で終りにするという。

約束の時間に彼は遅れてきた。理由。業務用の大冷蔵庫、冷凍庫が故障したという。とりあえずの復旧に80万円かかるという。

「なんだい、弱り目に祟り目だね」。亭主の言葉に彼は黙ってうなずくだけ。

日本各地だけでなく外国にも知人がいるという彼。先月イタリアの農場に行ってきたと。完全に自給自足の村に。学んだことが多いとか。

鶏をやめて、あらたな事業を始めようと考えていると。もちろん野菜も作っている。毎日線量計とにらめっこ。

積極的に“除染”はやらないことにしたという。除染ではなく“移染”だからと。除染した水は川を汚すだろうし、たとえばゼオライトの吸着させても、そのゼオライト材の処分が出来ないだろうし。ゼオライト材を置いたところは高線量になるだろうし。

大赤字を抱えながら、次の一手を考えている。土と一緒に暮らしてきたものの気概。「身土不二」が彼の信念。

別れてから気がついた。彼は「風評被害」という言葉を一回も使わなかった。言わなかった。被害者だけど被害者になりたくない。加害者を追及したり、加害者のせいにしても始まらない。そんな気持ちがあるからだろうか。誰かを、どっかを責める言葉もなかったような。

現実を見据え、次に踏み出すことを考えている。広大な農地を使って「研究施設」、もちろん放射能と農業にかんするような、そんなことが出来たらいいなとも考えているような。

まだ45歳。その気があればやりなおせるさ。新しい「農」のモデルケースを作れるかもしれない。

いろんな人が、人たちがいる・・・。

彼の農場の卵。絶品である。太鼓判押す。その卵と会えなくなる・・・。

2011年12月20日火曜日

報道の違和感。あらためて・・・

北朝鮮の金正日総書記が死去。たしかに昨日の報道には驚きました。
で、それを伝える日本の、諸外国のメディア。あの行方不明が懸念とか言われていたおばちゃんアナウンサーの御尊顔久々拝見。そのアナウンスで死去を知った。「列車の中で〝病死“と」。

さ、それからの映像。朝鮮中央テレビの映像。〝号泣“する市民や軍人。どっかの部屋の中。金日正の銅像の前で整列して号泣する人たちの映像。

全部が全部、朝鮮中央テレビの「引用」でしょ。どうみてもあの泣き叫ぶ映像は「演出」としか映らない。新聞の写真だって然り。朝鮮日報のものか。

そりゃ仕方ないですよ。外国人の報道陣はいないのだから。だったらせめて号泣映像に「朝鮮中央テレビより」ぐらいのキャプション入れてよね。出所不明の映像って嫌だ。

そんなこんな、北朝鮮を伝える報道にいつもつきまとう違和感。そこにある「テレビ」を利用した演出。

そしてスタジオに紙面に〝参加“した事情通。政治家、外交官、学者・・・。
みんな、わかってないのにわかったことを言う。訳知り顔での解説だらけ。

きょうもそれは続いています。病死という報道にはついつけてしまいたくなる“”かっこ。

報道の違和感。一番違和感があったのが原発事故一時帰宅の光景。例えば川内村。あの頃郡山の避難所は1,2マイクロシーベルトくらい。川内村は0,4くらい。

村の「体育館」に集められて、大仰にタイベックススーツ着せられ、ビニール袋一つ持たされ「帰宅」。レポーターは「決死行」を真顔で喋る。
あのスーツ、防御服。放射線を防護しません。せいぜい汚れ落とし程度のもの。

郡山ではTシャツ一枚で暮らしていて家に帰るときには完全防備。保安院なのか、東電なのか、県か国なのか。完全防備の指示出したのは。テレビ映り、写真に写ることを想定しての完全な「演出」だった。住民はそれに乗せられただけ。ご丁寧に体育館に帰ってきたら全員「放射線量測定」。出るわけないでしょ。高い数値が。

この異形、異相をどのメディアも言及しない。遠くに住む人たちはその格好見ただけで「凄い、やばい」ということになる。

はい、今は川内村に関してはみなさん適宜用事がある時は普通の恰好で帰っています。ただ、何にも無くなった生活手段。帰れないだけ。住めないだけ。

原発に関して政府や東電が隠している、何か裏があるって書くのなら、自分たちが取材しているそのものに「隠された意図」があるのではないかとくらい思ってみたらどうだろう。ありのままがいい。当然です。だったら北朝鮮を放映する映像には出所を明記しましょうよ。

金親子の出生の秘密だとか、謎のベールの覆われれた国の素顔だとか、瀬戸際外交が得意だとか。隠されたものを知りたがるのは人間の常ではあるけれど。

しばらくは北朝鮮報道の「違和感」とお付き合いってことでしょうか。

2011年12月19日月曜日

仮設の人からお歳暮を貰った。

今朝―。「ピンポ~ン」とドアチャイム。開けてみたらなんと仮設に住む川内村から避難してきているバアチャン。

「いやあ、御無沙汰。いろいろ世話になったない。気持ちだけお歳暮」。お歳暮の“のし紙”ついた洗剤のセット。こういうのって目茶苦茶嬉しいんですよね。

バアチャンとはちょっと御無沙汰。気になっていたところであり、渡そうと思っていたところであり。

「ちょっと上がっていけよ」。「いや今表で娘待たしてるから、こんどゆっくり来る」。
「どうしてる?パチンコばかりやってるんじゃないだろね」。「やってないよ、あはは、たまには行くけどね。目の前にあっから」とペロリと舌を出して。


「これ、持っていこうと思ってたんだよ。使って」。手編みのひざかけ。東京の親戚が送ってきてくれたもの。「避難してきている人にあげて下さい」とのことで。その他手編みのポシェットやキャップ。「表で遊べない近所の子供さんたちにあげてください」と。

子供たちには普段着のサンタさんやってきましたが。

「なんだべ、手編みじゃないか。暖かそうだね」。
「じいさんにでもやってくれよ」
「いやだ、やんねえ」。オレ使う。

「仮設は寒いかい」
「そんなに寒くはないよ。炬燵配られたけど、もう前に買ってあったんで。くれるなら早く言ってくれれば買わなかったのに」。

「それよりもさ、オレ〝日個“は4人になってしまった。何か買ってうあやねばなんないべ。たいへんだよ」と嬉しそう。はい、こっちではひ孫のことを”ひこ“と言います。

「じいさんどうしてる」
「このごろ週に2回デイサービス行って風呂さ入って帰ってくる。出て行ってくれた時は助かるよ、あはは」。
「そのうちまた来っから」そう言ってバアチャン颯爽と帰っていきました。

川内村と言えば、友人から貰った焼酎「十六夜」。川内村の天然地下水を使った焼酎。作っていたのは双葉町の富沢酒造店。原発からわずか3,5キロにあった酒蔵。この酒蔵の名物が清酒「白富士」。社員あげて避難して、警戒区域指定前と、一時帰宅と時に持ちかえってきた白富士の酵母。会津若松の老舗、花春酒造の社長が申し出た。「遠慮しなくていいから、うちの蔵使って酒を作って」と。

先日、その白富士が見事出来上がったという。300年の歴史を誇る銘酒が。
搾りたての舟口酒試飲して、一家そろって泣いたという。こういうのを“絆”って言うんじゃないかな。

川内村のバアチャン、その焼酎の事は知らなかった。よし、じいちゃん交えていっぱいやっぺ。

白富士も呑んでみたい。一口でいいから。

2011年12月18日日曜日

「ハイテク」と「ローテク」

きょうもあちこちで除染活動が繰り広げられています。その効果や問題点はさておいて。今、やることは、今できることはそれだけ・・・。

ホームページ、トップの「随想」更新しました。♪やるなら今しかねえ♪

原発は、その運用も含めて、あらゆる「ハイテク技術」が結集されていたはずです。中央制御室だって。その「ハイテク」が一瞬にして吹きとんだ。それがもたらした飛散物、放射能汚染。それを除去し、人がすめるような環境にするのが、とりあえず除染。

除染作業。きわめてローテクです。草をむしり、土を剥ぎ。スコップ使い、どぶさらい。人海戦術と体力。

塾で紹介したポーランドの詩人の詩の冒頭。
「戦争が終わるたびに、誰かが後片付けをしなくてはならない。なんと言っても、ひとりでに物事が、それなりに片付いてくれるわけではないのだから・・・」

第二次世界大戦で多くの悲惨な光景を体験した日本人は、恒久平和を誓った。
その後訪れた第三次世界大戦の恐怖。核戦争の恐怖。冷戦構造の崩壊で、その危機は遠のいた。安堵したのもつかの間。第四次大戦が起こった。原子炉爆発。

全面核戦争が起こっていれば、人類の多くが消滅していたかもしれない。
福島県を襲った戦争。多くの人命は失われていないが、過酷な生活が待っていた。その戦争の後片付け。それが、スコップに鍬に、せいぜい高圧洗浄機。

アインシュタインは言ったという。第四次世界大戦があったら使う武器は「石とこん棒」だと。まさに福島県は第四次大戦の真っ最中かも。

まだ、ハイテクに彩られた高度成長の夢を追い求めるのか。ローテクを潔しとしてきた農地はおおかた汚染され、自然の恵みを受けることが至難の業になった。
一縷の望みを託して、人々はローテク作業に励む。寒風に耐えながら。

除染作業にあたっていた県北地方の60歳の方が亡くなった。すぐさまネット上では被曝と結び付ける輩が登場する。「80キロ圏内で除染作業をすることは死ぬということ」だと叫ぶ。いい加減にしろよ。

集団疎開を声高に言う人達がいる。「思想」の問題か。「思想」で、多くの人々の生活を断ち切るわけにはいかない。

除染。その効果や結果は多くの未知数を抱えている。広大な農地や山林をどうするか。誰もワカラナイ。でも、誰かが後片付けをしなければならない。それがローテクであろうとアナログであろうと。

郡山のきょうの空間線量は0,75マイクロ。我が家の庭は多分1,2マイクロ。町を挙げての除染の気配無し。一人でやるには気力、体力ともに無し・・・。

「ひとりでに、それなりに片付いてくれるわけは無い」と分かっているのだが。

2011年12月17日土曜日

「収束」が招く混乱

きょうもハイドンの戦時のミサを聴いています。
そうです。福島県は未だ「戦時」なのです。戦争は収束していません。

野田首相がきのう高らかに読み上げた「収束宣言」。その言葉をめぐって、より混乱が、困惑が助長されています。

「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」。冷温停止状態になったことを確認したからステップ2は完了した。そんな発言。

たしかに冷温停止状態は確保されているようだが、メルトスルーして溶けだした核燃料の状態は誰もわかっていない。誰が考えても不安いっぱい。応急修理のような循環冷却装置。いつ不具合を起こすかもしれない。

国内外に向けた安全宣言。大いなる政治的思惑。にもかかわらずの思惑外れ。誰も安全宣言を信じようとはしない。アメリカの論調などはより厳しいし。

発電所そのものは「収束」と言っているけど、新聞の見出しに躍る「原発事故収束宣言」という見出し。これは怒りますよ。福島県民は。

冷温停止を確認とだけ言っておけばよかった。なんで収束なんて言葉使ったのか。官僚の作文読み上げか。

ここまで持って来た現場の作業員の必死の努力は多とするものの、彼らだって違和感もっているのではなかろうか。収束宣言に。

避難している県民達の問題は、ほとんど何も解決していない。県知事が出した米の安全宣言のほころび。安全宣言なんて所詮そんなものと受け止めている。

希望の希の字もない。

安全宣言の次は住民の住み分け。長期帰宅困難地域。事実上の「帰れない宣言」。そして、中間貯蔵施設の固定化。

冷温停止の“確認”。一つの区切りではあろうけど。確認したのは誰なんだい。
「収束」という言葉だけを捉えてメディアは騒ぐ。日本語の使い方を知らない総理大臣の為せる罪。本当に冷温停止したのなら、それは終息に向けてのわずか1センチくらいでしかないのに。

「新段階への移行を国内外に発信する意義は大きい」。読売新聞の社説にあった一行。どうなってるの、この“視点”。
記者会見のあと野田君は読売のナベツネや朝日の論説主幹などと会食したとか。
「立派な会見でしたね」と、まさかおべんちゃら言ったとは思わないが。当然話題の主だったと推測に難くない。何を話したのか。どこの社も書かないだろうね。
安全宣言は、福島県民には不信感を増させるだけ。次の不安が助長されてくるだけ。安心材料にはなっていない。

かくも乖離した永田町と福島の感覚。福島は未だ「戦時」なのです。

2011年12月16日金曜日

「冬の日」

今朝、郡山に一時、かなりの雪が降りました。福島市にも。いわゆる中通りにも冬がやってきました。西日本にも降ったということです。

枯れた田んぼに降る雪をみていると、大好きだった詩が浮かんできます。
三好達治の「冬の日」。

    ああ、智慧は、かかる静かな冬の日に、
    それはふと思いがけない時にくる
    人影の絶えた境に 山林に
    例えば、かかる精舎の庭に
    前触れもなくそれが汝の前にきて
    かかる時、ささやく言葉に信をおけ
    「静かな目、平和なこころ、その外に、何の宝が
    世にあろう」。

昔、兄事していた人が、怒りにふるえ、寺に身を置いていた時があります。
その人にこの詩をファックスで送りました。
真夜中、その人から電話がありました。「お前、生意気なことするじゃないか」。その声は泣き声でした。

数年後、彼は不遇の死をとげます。わずか60歳。追悼文に宮沢賢治の死を添えました。「永訣の朝」の最後の数行。

  わたくしのけなげないもうとよ
  この雪はどこをえらばうにもあんまりどこもまっしろなのだ
  あんなおそろしいみだれたそらからこのうつくしい雪がきたのだ
  おまへがたべるこのふたわんのゆきに
  わたくしはいまこころからいのる
  どうかこれが天上のアイスクリームになって
  おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
  わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

雪を見ると、どうしても、3月11日の午後3時前の光景を思い出します。大地が揺れ、道路が歪み、建物からは破片が次々と落ちてくる・・・。そして、急に空から降って来た雪、雪・・・。不思議な光景でした。

天上のアイスクリームは午後から本格的に降るという予想。

事務所の入り口に掲げてある三好達治の二行詩。昔、彫刻家が贈ってくれました。

     太郎をねむらせ太郎の屋根に雪ふりつむ
     次郎をねむらせ次郎の屋根に雪ふりつむ

この詩の意味がいまだ読みとれていません。太郎とは誰か、次郎とは誰か。いや、何か。
ただ、この額の字を見ているだけで、少しは静かな目になれそうな気がして・・・。

2011年12月15日木曜日

喪中葉書と年賀状と

昨日、義弟の訃報が届きました。67歳。患っていた癌。当店の常連さんでもありました。20年以上、直接会話したことは無かったのですが。

年末―。喪中葉書が寄せられます。大体が親の喪中ですが。中には息子さんを亡くしたという学生時代の後輩からのものもあり。40通くらいあったでしょうか。「喪中につき・・・」。誰が亡くなったのかわからないものも。でも問い合わせるわけにもいかず。

喪中葉書に返事を出していいものやら。毎年悩みます。12月というのは、なんか嫌な季節かもしれません。

去年、愛犬を亡くしました。広義で言えば、心情としては「喪中」。でも年賀状は出しました。

こんな文面でした。

首(こうべ)を回らせば七十余年 
人間(じんかん)の是非は看破に飽きたり
往来の跡幽かなり深夜の雪
一炷の線香古窓の下 

良寛の句を書く年になりました。古希です。
秋晴れの朝、、愛犬澪が静かに旅立っていきました。
夢の夜や 夢になりゆく 犬の影
人間の是非は看破していくつもりですが、さまざま、一つの節目と心得ています。賀状も今年で失礼させていただこうかと思っています。
皆様のご健康とご多幸を祈りつつ・・・。

節目、区切り。今年は、来年の元旦に配達されるであろう年賀状は失礼させていただくつもりです。

もし、去年、こんな賀状を出していなければ、今年も出さずにはいられなかった。でも、何を書いたらいいのか・・・。区切りを申し出て良かったと思っています。
旧知の朝日新聞の北上支局長からも葉書が来ていました。喪中かと思ったらさにあらず。年賀状を出す気には、どうしてもなれないので、年末の挨拶にしたと。「大変な年でした。お互い頑張りましょう」。そう万年筆による添え書きがあって。

今日から年賀状の受付が始まったとか。テレビが映す晴れ着姿のお嬢さん壇上に上がってのくす玉割り・・・。複雑な思いで見る歳末風景。

被災地の方や仮設にいる方。年賀状はどうされるのでしょうか。多分、書く気にはなれないでしょう。無理ですよ。そして、被災された方々、避難された方々に年賀状は届くのでしょうか。励ましの言葉を乗せた一枚の葉書が。住所変更したあるのかな。20キロ圏内には郵便配達だっていかないだろうし。宛先無しで返送になるのかな。

津波で一瞬にして家族を失った人たちは、喪中葉書なんて書いたのでしょうか。
まだ4千人近いという行方不明者を抱える家族はどうするのか。

年末年始のご挨拶。日本の古き良き慣行。それも崩れてしまった・・・。些細なことかもしれませんが。

亭主は年賀状を戴いたら、返事だけは差し上げるつもりにしています。多分、来ると思うから。貰いっぱなしではとてつもなく失礼だし。
読めない字の手書きにするか、どうするか。思案中です。

2011年12月14日水曜日

「戦時のミサ」

久しぶりに会った彼が言った。「そうそう忘れないうちに渡しておきます。CDです。廃盤と言われていたものなのですが。手に入りました」。

そう言って渡してくれたCD。ハイドンの「戦時のミサ」。レナード・バーンシュタイン指揮、ニューヨークフィル演奏によるもの。

この曲には一つの逸話、伝説がある。1973年、ベトナム戦争の最中。アメリカ大統領にニクソンが就任した。就任記念コンサートがケネディーセンターで催された。オーマンディー指揮のフィラデルフィア管弦楽団。曲目はチャイコフスキーの大序曲「1812年」。
同じ日の同じ時間にバーンシュタインはワシントン大聖堂でこのハイドンの戦時のミサを振った。
雨の日だったという。大聖堂に入りきれなかった聴衆は1万2千人いたという。教会の外で雨の中で、この演奏を聴いたという。少なくとも聴衆の数からいえば、バーンシュタインがニクソンを上回った。
そして後年、手塚治虫は「雨のコンダクター」という作品に仕上げたという。

CDをくれた彼の電話の誘いは「御無沙汰しています。ちょっとお話したいことがあります」というようなものだった。会ってみると取り立てて特別な話は無かった。きっと亭主の聞き違い。「ちょっとお渡ししたいものが」ということだったのではなかったかと。

彼は当店、からから亭の常連だという。「震災後、毎日書いていますよね。凄いです。たまに更新時間が遅いと、具合い悪いんじゃないかと心配して・・・」とも言ってくれた。

そして気付きました。ブログを読んでいて、毎日怒ったり悲しんだり、嘆いている亭主の心持をおもんぱかって、労わりのプレゼントがこのCDだったということに。

あらためてゆっくり演奏を合唱を独唱をソロを聴きました。キリエからはじまる46分余り。そして案の定泣きました。肩を震わせ嗚咽しました。

クラシック音楽を聴いて泣いたのは、昔、小沢征爾が指揮した、ベルディーのレクイエムを聴いて以来2度目。

そう。我々は今「戦時」にいるのです。軍隊こそ攻め込んでこないけど。

まもなくクリスマス。街は光に彩られています。津波で街ごとなくなった南相馬市の原町地区の海岸にもイルミネーションがともされています。その海に向かって光を放つイルミネーション。そこには「ありがとう、みんながわらいあえるところにします」。そんな文字が浮かびあがっています。
親と息子が行方不明のままだというこの電飾を作った人は言います。「決して置き去りにはしないよ。元の町のような賑わいを取り戻すまで、ここを離れないで頑張るよ」。そんな想いを託したという。

今年のクリスマス。あらゆる教会でいつもの年とは違うミサが執り行われるだろう。戦時のミサの演奏はないにしても。

旧約聖書創世記。神は光あれと言われた。光は神の象徴。電飾が無い時代は神の光はすべてキャンドルだった。

聖書が書かれたヘブライ語には時間軸が無いという。過去形も現在系も未来形も無いという。だから・・・「天地創造」はもしかしたら今も続いているのかもしれない。
「戦時のミサ」を聴きながら頭をよぎったことども。

2011年12月13日火曜日

「海くん」のこと

新聞。何百人の記者が書いた記事を一人で全部読むというのはkが遠くなるような作業だと時々思うのです。読みべき記事もあれば、読む必要の無い物もあるけど。
テレビのニュースで知ったこと。発表物の類は読まないようにしています。読むに越したことはないけど時間が・・・。

朝日新聞南三陸駐在 三浦英之記者。もちろんどんな人か知りませんが。以前にもこの人の記事を書かせてもらいました。コラム 「南三陸日記」。読ませる記事です。

駐在。それが新聞社の中でどういうポストなのかわかりません。支局長でも無ければ支局員でもない。駐在。多分筆致からして若い人ではないだろうと思います。練達の士だと推測します。

きょう掲載されていた南三陸日記 「海くん、待ってるよ」。
志津川少年野球クラブに所属している渡辺海(かい)くん11歳。津波の被害に遭い、一家は20キロ離れた内陸部の登米市に転居した。5月、その海くんの家の引っ越しを三浦記者は手伝っていた。彼に海君は言った。「いつかここに戻ってくるよ。僕の名前『海』だから」。来年、海君は中学校に進む。最後の試合、負けたが顔は晴れ晴れとしていたという。試合後海くんは記者のところに駆け寄り「来年から登米の中学校に行きます」と宣言した。「でも、いつかは戻ってくるよ」あの日と同じ言葉を繰り返した。僕らの約束は続いている。

要旨、こんな記事。いい記者だと思うのです。取材のかたわら引っ越しを手伝い、子どもとの約束を続ける。“ほぼ日いとい新聞”の記者のように。

今月の塾。長渕剛の詩「復興」と取り上げました。自然に意志はあるのかというテーマの導入として。

   憎い、憎い、私は 自然が憎い
   憎い、憎い、私は 海が憎い
   たわむれ 優しく 大きく 父のような海だったのに
   怖くて憎くて たまらない 許せない 絶対に許さない
   こんなに あなたを 愛して 生きてきたのに
   なぜ 海よ あなたは 私たちを壊す・・・

こういう書き出しで始まる1055の字の長文の詩。

長渕が憎いと言った海に、長渕の歌で励まされた海の男たちは出て行く。海を憎いとは言わない。

自然には意志は無いのではないか。自然は人間の生活には無関心であり、自然現象としての動きをしただけではないのだろうか。それが塾生への問いかけ。

塾生から意見が出され、それぞれが自然の所作について思いを巡らしているようでした。

塾では言わなかったけれど、長渕も自然には意志が無いということを知っている。しかし、憎いという言葉で表さない限り、彼の気持ちの踏ん切りがつかなかったのではないかと。

渡辺海くんの話を読んで、また一つ考えさせられました。

そして、詩が一つ浮かんできました。三好達治の詩。

   海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
   そして母よ、仏蘭西人(フランス)の言葉では、あなたの中に海がある。

フランス語でmèreは「母」。merは「海」

海(かい)くん、いい名前をつけて貰ったね。

2011年12月12日月曜日

「オフレコ」

「あのさ、これオフレコなんだけどね」。そう言って唇に人差し指を当てて喋ろうとする奴がいる。「いいよ、オフレコの話なんか聞きたくないよ。俺おしゃべりだから」と亭主。
「いやさ、ここだけの話なんだけど・・・」。彼は自分は知っている〝秘密“を喋りたらしい。俺はなんでも知っているんだというようなことを知らせたいらしい。

「オフレコ」。この一種の業界用語はいつの間にか巷にも蔓延しているような。

旧聞に属するかもしれないが、防衛庁の田中前防衛局長の沖縄での「オフレコ」発言。一部マスコミや著名なジャーナリストの中には彼を「擁護」する向きがある。オフレコ破りをした記者に非があるとする。

亭主の経験と見解。「オフレコとは破られるためにある。書かれるためにある」。

書かれたくないことなら言わなければいい。言うってことは書いてくれってことに等しい。ただし、出所不明で。

オフレコと称して何かしゃべる、少なくとも政治家や官僚に関しては、そこに老獪なマスコミ操作の意図がある。観測気球然り。リーク然り。

書かれることに意味があるのだ。そして、ネタを欲しがるマスコミを「味方」にしようとする意図も。
オフレコでも何でもいい。ネタをくれるところにはマスコミは集まる。いくら夜打ち、朝駆けしても何もしゃべらない政治家のところには誰も寄らなくなる。
そして言う。「あれはブリパンだから行ってもしょうがない」と。ブリパン。ブリキのパンツ。固くて破れないっていうような意味。

田中前局長のオフレコ発言。例えが悪かった。でも彼はどこかでその真意を書かせたかったのかもしれない。

オフレコ破りはルール違反。そんな簡単な言葉で言えることじゃない。ダイレクトコートしただけじゃないの。

政府首脳は官房長官、政府筋は副長官クラス。業界なら誰でもわかるニュースの出所。
ここ数年はやったのが関係者。検察のリーク。誰も咎めないのに。

書いた琉球新報に一票。

思い出した不愉快な発言。松本龍なる大臣が宮城県庁に乗りこんで知事に罵詈雑言。あげく「この話はオフレコだぞ」。東北放送が放映し、各マスコミもけしからんと書いた。松本龍は確かにオフレコだと言った。しかし、それを報道したことを誰も咎めない。

永田町や霞が関ではきょうも「オフレコ懇談」が行われているかもしれない。そして福島県についてのオフレコ発言があるかもしれない。
「もうあそこは帰れない土地だけど、土地を取り上げる前に取り上げるぞとは言はない」というような・・・。

2011年12月11日日曜日

あれから9カ月

あれから、3.11東日本大震災から9カ月。きょうもあの日と同じように寒いです。
あの日の、あの時刻を過ぎました。日本列島各地で、相変わらず地震が発生しています。鹿児島では震度4だった・・・。

30年以内にマグニチュード9の地震が起きる確率は30%だと学会は言い始めた。その“予兆”のような自然現象の変異が伝えられる。

9か月。被災地では至る所で“鎮魂”の営みが行われ、この大災害を「風化」させにようにと陸前高田市では、モニュメントが建てられ、神戸から送られた「希望の光」が点灯されたという。

9か月にして、「風化」という言葉が使われ始めている。何をもって風化というかはともかく、人の“意識”ってそんなものだろうか・・・。

「風化」を象徴しているものは、政治の「劣化」なのだろう。政治家達の思惑は被災地を忘れたかのように、もちろん、予算や復興計画は作られているのだが、ただただ「嘆かわしい」と思えるようなことばかり。
党内融和だの選挙がどうだだの。どうでもいいことなのに。

「風化」どころか、原発事故は依然進行中であり、いいしれぬ恐怖感や厭世感が、きょうのどんよりとした天気のように続いている。

国は「汚染状況重要調査地域」というのを設け、それに指定された地域には除染のための財政支援を行うとか。その基準は年間1ミリシーベルト。毎日発表される測定値。郡山は測定地点の県の合同庁舎前で。0、75マイクロシーベルト。年間1ミリを毎時に換算すれば0,23マイクロシーベルト。

ということは我が家も「重要調査地点」ということか。

終わりの見えない道。未知との“闘い”。疲れ果ててきていようとも。

放射能をめぐる話は、ますます過激さを増しているような感あり。風化は及びもつかない。

せめて「風化」という字に「風花」をあてて束の間の平常心を取り戻そう。

風花の風を残して消えにけり。今日の朝日俳壇にあった一句。風は汚染を消してはくれないが。

昨夜の見事なまでの皆既月食。見る人の心を動かした自然の美。自然は人々の心をどう忖度しているのか。心とは多分無関係にさまざまなものを送りこんでくる。意志は無い。見る人のこころの在り様がどうとらえるかだけ。

自然には意志は無い。自然は人間に無関心だ。先週の塾で取りあげたテーマ。

自然が配布していったものを、人間の心が「風化」させてはならないと思うのですが。

2011年12月10日土曜日

茶番劇

先日大枚はたいて買った岩波国語辞典。やっと読める範囲の字の大きさだけど。

茶番を引いてみると「比喩的に、ばからしい、底の見え透いた物事」と書いてあります。

国会最終日に出された問責決議案。なんで最終日なの?。もっと早く出すべきだったでしょ。出すならば。問責可決ならば審議拒否ってことになる。拒否するには与野党とも思惑交差する。
出さなければ自民・公明の顔が立たない。裏で話し合い。国会に最小限影響がないであろう最終日を選ぶ。

とんでもない茶番劇じゃないですか。

年明けの通常国会では可決両大臣のいる限り審議拒否だとか。だから、それまでに内閣改造するとか。

ああ、茶番だ。茶番だ。

自民党の総裁や幹事長はバカの一つ覚えのように解散だ総選挙だと。

なんでも反対、自民党。政権交代選挙に負けて、自民党はもはや三流政党になり下がったのか。かつての社会党と同じだ。反対だけ言っていても選挙は勝てない。少なくとも谷垣・石原コンビでは。数少ない有為な人物はどうも「干されて」いるようだし。

茶番ついでにもう一つ。ベトナムなでへの原発輸出を可能にする原子力協定の採決。民主党議員12人が「造反」したという。その中には郡山を地盤にする増子輝彦センセイも。「福島県民の感情を考えると賛成出来なかった」との弁。

あらら、あなたは経産省の副大臣かなんかやっていた時は必死になって、今の県知事とタッグを組んでプルサーマル推進の強権を発動したんじゃなかったのか。県民感情考慮。いいよ、考慮しないで。自分の意思は述べてない。

彼の頭にあるのは、県民を持ち出すのは「選挙」。
増税論議にしても然り。税の在り方の本質論や国家の有り様よりも優先するのは「選挙に勝てない」という保身の本音。

国会議員の言動、行動はすべて茶番。それを多分見抜いているであろうにもかかわらず、表の事象だけを大見出しで書き、政局記者が幅を利かすマスコミ。

マスコミ報道も言ってみれば茶番だ。

「号泣した記者がいた。歯を食いしばってシャッターを切ったカメラマンがいた」。そんな“キャプション”がついている「記者は何を見たのか」というタイトルの本の広告。

永田町で号泣している記者はいるのか。張り番で「寒い、冷える」とツイッターで連呼する人いるけれど。

2011年12月9日金曜日

曲学阿世の徒

群馬大学の早川由紀夫という教授、専攻は火山学らしいけど、福島の放射能被害についてツイッターで語った事が波紋をひろげている。

新聞報道によれば「セシウムまみれの水田で毒米つくる行為も、セシュウムまみれの牛を育てるということも、サリンつくったオウム信者と同じことをしてる」と書いているという。さらに「福島の農家が私を殺そうとしている」などの書き込みもあったそうな。

大学は訓告処分にしたというが、当のご本人、記者会見やって「放射能の危険性を多くの人に迅速に伝えるために、 あえて過激にした。処分は学問の自由を奪う行為で、大学の自殺」と批判したという。

こんなバカげた話をいちいち誰何するのも「ばかばかしい」けど、この教授、放射能汚染マップ作りに参加していて、メディアも御贔屓にしていたというから始末が悪い。

言うまでも無いが、誰も殺人を意図して米を作り、牛を育てたりしていない。土と真摯に向き合い、牛を丁寧に育て、食べる人たちに喜んでもらおうとしていた人たちばかり。牛では「責任」をとって自殺したひもいる。

原発事故以降、やたら登場してくる学者さまたち。もう何度も書いたけど、おかしなことを言う人が多い。ほとんどが信用出来なかった。

早川発言。まさに〝狂気の沙汰“としか。狂気ついでに言えば「あんたが麻原彰晃だ」。

この発言よりももっと怖いのは、彼の言辞に賛意を示す人が多いということ。処分した学校にも「苦情」が行っているという。

著名な女性ジャーナリストは以前から喝破していた。「学者がカルト化している」と。まさに。

曲学阿世の徒。昔、吉田茂が東大の南原総長を指して言ったセリフ。きのうの亭主のブログにあった書きこみ。安岡正篤の活眼活学に記されている崔子王の言葉、四不殺。その一つ。「学術を以って、天下を殺すなかれ」。まさにこれに当てはまる「エセ学者」と。

本来の言葉の意味ととはちょっと違うとしても、曲学阿世が多すぎる。そういう奴らに限って必ず言う。「学者としての良心が・・」と。お前ら、もともと「良心」なんて持ち合わせていなかったろう。

お願い。メディアよ、片棒担ぐなよ。醜い日本人がだんだん増殖されているような気がして。

サリン事件の“真相”も未だ藪の中なのに。引き合いに出されたサリン事件の被害者も不愉快この上ないと言っている・・・。

2011年12月8日木曜日

福島県知事の“罪”

二本松市の米農家から、また国の暫定基準値をわずかに上回る放射能が検出された。一戸だが。

もしかしたら、まだ、検出米は増えるかもしれない。「福島県産」というひとくくりにされ、米は行方を失い、農家は途方に暮れる。福島県の“受難”は、もしかしたら、始まったばかりかもしれない・・・。

いったん安全宣言を出した福島県知事はきょう、「もっと細かく専門家の意見を聞けばよかった」などと述べ、「反省している」とボソボソ声で釈明していた。

反省だけなら猿でも出来る。そんな平時に流行った言葉を持ち出しても何の意味も無い事承知だが。

3・11。総理大臣が菅直人であったことの“不幸”と同じく、いたそれ以上に、県知事がたまたま佐藤雄平という男であった事は、やはり、県民にとって最大の不幸だった。

5年前、佐藤雄平を県知事に選んだ。長い間、渡部恒三の秘書として、カバン持ちとして仕えてきた身、県知事をどれだけ所望していたかはしらない。経過をふりかえれば「たまさか」という気がしてくる。前知事の「逮捕」という事件がなければ変わっていたかもしれない。

知事就任以来、雄平知事から県政の確たるビジョンを聞いたことがない。すでにして沈滞気味だった福島県をどうするかというビジョンを。

知事はじめ、県の役人は、原発事故後、何をしてきたのか。避難民のほとんどが、いや、全員が語る。「県からは避難そのたについて何の指示もなかった」と。

顔の見えない知事だった。知事の“罪”は大きい。

彼の任期はまだ3年もある。3年間、この知事のもとで、暮らしていかなければならないのか。県民の多くがそんな疑問をより強く抱くようになった。

反原発のスローガンを掲げ、東京でデモをする県民がいる。座り込みをしているグループもあると聞く。それはそれでいいのだが。

県知事リコールという声は聞かない。声が出ない。頭では思っていても行動におこせないのか、口にしないのか。

原発事故後、数カ月は知事も県庁も県民も東電を敵としてやってくれなよかった。外の敵に目が向きすぎて、身近にいた役立たずどもにあまり気が行かなかった。もっとも、3・12、13、14と行く先も見えぬまま夜道を流浪していた避難民たちは気づいていただろうが。

役立たずどもが権力を持ち続けて、試行錯誤の除染活動をやっていて、県外に脱出する県民が次々と出ている現実を目の当たりにして、農業県の農家が苦境に立たされているのに、ひとかけらの“光”も与えられない行政・・・。

昨夜たまたま、要職を歴任してきたベテラン県議と懇談の機会があった。彼の持論。「歴史を動かすのは、よそ者、バカ者、若者」。

自民党籍を持つ彼も、大阪の橋下を支持するという。

福島県を変える、県の歴史を大転換させるようなよそ者、バカ者、若者はいないのか。

亭主が見回したところその該当者は見つからない。でも、いるはずだ。橋下は副市長に中田前横浜市長を取り込むという。大阪にとってはよそ者。しかし若者。

県内にその意気ある者ありや。県議という地位に甘んじている奴らにはいない。
よそ者でもいい。火中の栗を拾う人はいないものか。

亭主はよそ者、バカ者。しかし、若者の範疇からは大きくはずれているし・・・。

2011年12月7日水曜日

原発とカネ

このところ、原発事故を巡り、賠償金の話が連日伝えられている。

政府の原子力損害賠償紛争審査会は、避難地域の周辺にある福島県内23市町村の全住民を、賠償対象とする追加指針を決めたという。
賠償額は、被曝による影響が大きいとされる18歳以下の子どもや妊婦が1人40万円、それ以外は8万円だ。

亭主の住む郡山市もこれに該当している。多分、8万円が払われるということなのだろう。なにか「不快感」が湧いてくる。

カネでしか問題を解決できない、カネで問題を解決させてしまおうという姿勢。

この数字を裏読みすると、大人は被曝の影響はさほどない。子どもと妊婦は影響が大。比較でいうとそういう見方も出来てくる。やはり「被曝」はあったのだと。

郡山に住んでいる乳児を抱えた母親が言っていました。「粉ミルクからもセシュウムが出たというし、ミルクを溶かすのにはミネラル水を買ってきているし、米はミネラルでといでいるし・・・。水代だけでも凄い出費」と。「一回限りの賠償金貰ったって役に立たない」とも。

この賠償金、東電が支払うもののはず。さて、払われるということになったら亭主はどうするか。
気持ちは「いらない」「けったくそ悪い」。でも、貰わなければ東電に「戻る」。
ばかばかしい。貰った上で使途を考えよう。自分たちのために使いたくない。
本当に苦しんでいる人たちのためにいささかでも・・・と思う。

郡山で「被害」を受けた農家の青年も言っている。おかしいと。対象になる大人は130万人。8万円を掛けた総額で、子どもたちが安心できるような環境整備や施設つくりに振り向けるべきだと。

賠償金なんていらない。元の大地にもどしてくれよ。そういう思いの人も多かろう。

原発とカネー。語れば長い話になる。立地の時からを。立地地域は確かに多額の交付金を貰い、寄付金を貰い、潤っていたことは事実である。高額所得者もいた。

今、仮設に暮らし、借り上げ住宅に住んでいる人達。これまでに賠償金が支払われている。しかし、その支払われ方には多くの問題がある。家族構成や戸籍や住民登録などの状況によって。東電は、各家族や個人の状況なんて把握できない。把握できるのは町や村役場。しかし、東電のカネの配分については細かく立ち入らない。

原発交付金は県の財政にも「寄与」したきた。事故後、県知事や幹部が声を大にして言ったのは「賠償」。

交付金の恩恵を全く受けていなかった飯舘村やその界隈の村、部落。そこが一番線量被害が大きい。

30キロ圏内の川内村。線量だけを言えば郡山よりかなり低い。多少のホットスポットなるところはあるにしても。

思い出す。セシュウムに汚染された稲藁を牛に食べさせ、結果汚染牛が生まれ、あらゆることに絶望して自ら命を絶った酪農家の事を。彼は原発から何の金銭的恩恵も受けていなかった・・・。

生業を無くした農家も多い。生活も含めて、支援や賠償はもちろん当然。

それにしてもだ。事故直後同心円をひいてコンパスで丸を書いて強制避難をさせたのと同じように、50キロという枠の中で、いわばばらまかれるカネ、カネ。“汚染”された金のように見える。

賠償金問題が進んでいく中で、郡山以西の、例えば会津地方との同じ福島県民同士での“感情的軋轢”が“こころの分断”が起きることを恐れる。

2011年12月6日火曜日

もはや埋め難き溝

震災で壊れた道路脇の溝のことではない。壊れた溝や側溝は工事すれば治る。日本人の心の中や頭脳の中に生まれてしまった「溝」。もはや埋め難きものとなっているような気がして。その溝を埋めないと復旧も再生もあり得ないと思うのだが。

国民の、特に被災者、原発被害者。そこに生まれた政府や行政に対する不信。それは今、なお増幅の一歩をたどっているような。

顕著なのは原発事故への対応。政府に対する不信を作った「犯人」。それは数限りなく繰り返された枝野官房長官の記者会見。「ただちに」「いまのところ」発言。東電と保安院の曖昧さ極まれりの記者会見。

テレビの映像が原発の爆発を伝えているのに、その内容や意味を伝えないどころか、見えないものは隠そうとする姿勢。

枝野に百歩譲ろう。「いまのところ健康に影響は及ぼさない」。それはいわゆる外部被曝のことであって、多分、彼の頭の中には内部被曝という考えは毛頭なかったのであろう。

とにかく、政府は行政は東電は、事実を過小評価し、ことさら安全を強調した。少なくとも、あの一か月の彼らの発言が真実を伝えているものだったら、今になっての土壌汚染の拡大、内部被曝への恐怖、食物汚染。そんなものは無かったはずだ。

いわゆる専門家という輩を多数集めた中での政府の見解。事実を隠そうとしたのか、誰も何もわからなかったのか。

これは中央政府だけではない。県という地方自治の要に対しても当てはまる。事実や現実を直視しない。知見が全く無い。

放射能がまき散らされた県内からの「脱出者」は6万人。県は新規の避難者は認めないという。

県民の大多数は言う。「国も県も信用できない」と。避難した人も留まった人も、「自己判断による自己防衛」しか手段を持たない。
国民・県民と国・行政の間に出来た溝。修復は不可能に近い。しかし、溝をどうにかして産めない限り、誰も救われないのだ。

旧福島市内の米は全部出荷停止とされた。被害はより拡大している。

別の溝も出来た。以前からあったといえばあったのだが、それを決定的にした。既存メディアとフリーないしはネットメディアとの、まるで敵同士のような対峙。既存メディアは真実を伝えない。隠すとネットは言う。ネットではデマがつぶやかれる。今もつづくこの受け手不在の自己主張。

かなり以前にも書いたが、テレビは40キロ圏内に入って取材することを放棄した。放棄させられた。地元の記者やカメラマンはほぞを噛んだ。しかし「中央」の命に背けない。それを聞いた時、亭主は多分書いた。「テレビは終わった」と。

内情はともかく、一般の市民は、県民は、やはりテレビを唯一の接触媒体と見ている。ネットで情報収集したり、リテラシー能力を働かせることが出来ない人が数多いのだから。ネット至上主義と声高に言う人はわかった欲しい。SNSも含め、その環境が整備されている人は国民全部ではないことを。使えない人たちが数多くいることを。

この情報メディアの溝もたぶん埋まらないだろう。高度に成長した情報化社会が達成されたと勘違いしている人たちが多い現代社会なのだから。

そして・・・・。県外に避難した人と避難しなかった人との間にも溝が深まる。

同じコミュニティーの中で暮らしていた人たちの間にも溝が生じてきている。

そして犯意が全く存在しない者同士で、被害者と加害者という分け方がされ、日本人同士に大きな溝が生まれている。生まれてしまった。

どうやって溝を埋めるのか・・・。カオスの名はカオス。混沌の中を生きる・・・。

2011年12月5日月曜日

本は読みたし、されど叶わず

時々の「私事」ですー。

3・11以降、無性に本が読みたくなっています。もちろん震災関係や原発関係もさることながら、気持を落ち着かせる、別の世界に束の間いざなってもうらう。考えるヒントを探す。勉強する。いろんな意味で。

4月、5月はいつも亭主は、ま、今でもそうですが、当ブログで怒ってばかりいました。そんな亭主の精神面での“健康”を気遣ってか。友人のマサルちゃんが息子に託して、本を数冊持ってきてくれました。

有り難たかったです。その一冊「バチカンの聖と俗」。バチカンに駐在していた大使の書いたもの。

「なぜローマ法王は日本に対してメッセージをもっと発しないのか」と思っていた時でもあり、なぜ宗教者は震災を語らないのかと疑問に思っていたときでもあり、いささか気がまぎれました。

塾生の一人もマサルちゃんと同じ思いを持ってくれたのか、本を送ってくれました。僧侶たちが書いた「覚悟の決め方」。仏教者として書けるギリギリの範囲で物を書き、生き方を説いていました。

その他、本屋に行って、財布の中身と相談しながら、結局本を買いまくり。ページを繰っていない本もあり。しこたまため込んでしまって・・・。

なぜ、次々と読破出来ないのか。原因は「目」です。本を読んでいると、目がとにかく疲れる。痛くなる。そして眠くなってしまう。目薬差しながらの読書も限界。

目からきたのかどうかはわかりませんが、先日やった頸椎症。ようやくおさまりかけたら今度は腰に、足に。痛みとしびれ。

頭は活字を求めているのに体がついていかない。

「ねじれ亭主」ですな(笑)。

しかも、この寒さで風邪気味となり。あはは、満身創痍だ。

きょうはこのブログアップしてから、明日の塾の講義の準備。塾が終われば、月3本は最低書かなければいけない原稿に・・・。

パソコンが目に悪影響を与えていることも十分承知なんですが。講義の準備するために本を取り出す。ちょっと読む。また目にくる。原稿書きに飽きたら本を読みたくなる。

昨日から読みだした本。川内村在住だった、たくきよしみつという人が書いた「裸のフクシマ」~原発30キロ圏内で暮らす~。帯封にあるのは「マスコミがまたく報じない3・11後に地元で始まった悲喜劇」とある。

目薬差して、目をタオルで暖め、時々は目頭を指で押さえ。読みふけりたいけど読めない。そして読んでいられない。

塾の準備急がねば。塾の模様はまた後日・・・。

2011年12月4日日曜日

郡山の野菜たち

郡山のNPO法人郡山農学校や郡山農業青年会議所。野菜やコメ作りに日夜専念してきました。

きょうはひさしぶりの「あぐり市」。郡山の町のど真ん中での野菜の直売。寒い風が吹くすさぶ中、生者者達が手塩にかけて育てた野菜が数多く並べられました。

なにせこのご時世。野菜の販売は難しい問題。生産者達はそれぞれ独自に線量計を自腹で購入。測りに測ってnot detected。ND。未検出を確認の上での出品。

いろんな種類の野菜達が並べられ。野菜達は皆元気そう。みずみずしさをより増したような。

ここの野菜。とにかく美味です。そして安い。農家の心がこもっている。地元のおなじみさんが立ち寄り、中には旅行者の方も味見をし。

震災以来初めての市です。

亭主は相変わらず痛みを持ったからだなのですが、顔出し。農家の人や野菜クン達に声をかけて。

とにかく、市のやっている通りは寒いのです。昨夜からの突風の名残もあり。「完全武装」の生産者。誰が誰やら顔が判別出来ないくらい。でも、皆にこやか。風をものともせずの根性。販売出来てよかった。

買われる野菜たちもどことなく嬉しそうに見え。

ビルの陰に入っての一服。苦労話を聞いて。みんな放射能の事に関してはずいぶん勉強したとか。とにかく詳しいです。検査体制もちゃんとしているようです。

この人達を放射能はどれだけ苦しめたのか。でも、苦労話はしても彼らは誰も「愚痴」を言わなかった。代々、土と暮らしてきた人達のたくましさ。
時折差し込む冬の日差しが、せめてもの彼らに対する「差し入れ」か。

今夜の我が家。野菜ふんだんの鍋となる模様。ふるまわれたコシヒカリの炊きたてご飯もおいしかった。

2011年12月3日土曜日

「閉塞感」

3・11以前、この国の有り様を語るためにメディアはいろんな言葉を使い、時代の様相をひとくくりにしていた。

例えば、無縁社会だの孤族だの。ニートだのロスジェネだの。

大地を揺るがす大きな地震、すべてを呑み込んだ津波。そして原発の爆発。

社会をひとくくりで語る言葉は無くなった。

無縁社会だったのが、絆という言葉にとって代わられ、地域コミュニティーが叫ばれ・・・。

閉塞感という言葉も“流行”していた。例えば政権交代も“閉塞感”を打破したいという民意だったとか。

その閉塞感という言葉も姿を消していた。もともとこの言葉。何に対しての、どんな閉塞感という記述が無いもの。漠然とした「空気」をさしていたものだったから。

最近、この閉塞感という言葉が“復活”してきた。事件があると、その解説で言う。「背景には閉塞感があるんでしょうね」とか。

原発反対運動。3・11前までは、一部政党や、団体に組織化された人達、そして理念を共有する人たちだけのものだった。

しかし、今は様相を一変させた。実害はともかく、放射能汚染という事実は、あらゆる国民の中に反対の機運を盛り上げ、さまざまな運動へと向かわせている。
これらの小市民的運動を、やはり「閉塞感の打破」という言葉でくくろうとする人達もいる。

原発と閉塞感と。閉塞感を身にしみて味わっている人達は、仮設に暮らす「原発避難民」。せまい部屋に閉じこもり。

この季節の冷たい雨・・・。家から出ることがためらわれる雨。頭の中にはいろいろなことが駆け巡るが、亭主の気分ももしかしたら「閉塞感」かも。

仮設の窓から見える景色は、また仮設。雨があがったら寒いだろうが表に出て見てください。
少なくとも郡山にある仮設はちょっと歩を運べば山が見える。山をみて少しは閉塞した気持ちを忘れて下さい。

晴れたら空を見てください。あなた達が暮らしていた村や町と同じような「ほんとうの空」が見えるから。

♪晴れた日には永遠が見える♪。亭主が若いころによく聴いていたジャズの一品。永遠。Forever。今の暮らしが永遠に続くものでないことを願って・・・。

それにしても、この多様で、複雑な世の中を、たった数文字の言葉で括って、世相を言い当てたかのようにいう「識者」達。一つの言葉ではくくれません。
被災者の心の内は。

2011年12月2日金曜日

カレンダーが行き来する季節

12月。きょうは思いのほか寒いです。寒い。安普請の事務所は冷え込んでいます。エアコンでは暖まらない。灯油を買いに走りました。

仮設住宅に暮らす人たちの事が頭をよぎります。仮設も様々。断熱工事がしてあるところもあれば、そうでないところも。狭い住宅、すぐ脇が窓。寒気が忍び込んできます。仮設では極力石油ストーブの使用は控えているということ。もちろん火事に対する配慮。エアコンと炬燵。とにかく冷えるそうです・・・。

友人に橋本広喜という県内ではそこそこ名の知れた版画家がいます。30年近く福島の風景を書き続けてきました。冬の光景を題材にしても、雪景色の中から暖かみが感じられる絵を描きます。自分の作品をもとに毎年カレンダーを作っています。彼の作品のフアンの中には、その月が終わると、その絵を切り抜いて額に入れて飾っています。
もちろん亭主もそのカレンダーの愛好者です。

友人に安藤元二という男がいます。東日本ダイワという建設関係の会社の社長。
その会社も橋本画伯の絵のカレンダーを毎年作ってきました。
会社用のは絵は6枚。一枚二か月のカレンダー。

福島を題材にしてきた画伯が取材範囲を東北六県に広げました。震災後、来年のカレンダーをどうしようと「企画会議」をやりました。震災をどうとらえるかも含めて。鎮魂の意味も込めて寺や神社を題材にしようとか、穏やかな風景にしようとか。

そして画伯は東北六県を回りました。

出来上がったカレンダー。「みちのくの四季」。表紙にはもちろん「がんばろう東北」のメッセージが添えられています。

宮城県は塩釜神社。青森県は弘前の春。岩手県は平泉。秋田は冬の角館。山形は熊野神社。そして福島は大内宿の半夏まつり。

このカレンダーは、今年は3千部作られました。2千部は仮設住宅に住む人たちに贈ろうと。その2千部を福島県内と宮城県の仮設住宅に運びました。
もちろん、全部の住宅に届けられるわけでもなく、“責任者”の方に預けてきましたが。集会場の貼られた「告知」見て、手にした人は大喜びだったということです。

手狭で、なにかと殺風景な仮設に、あのカレンダーがいくらかでも温かさを与えてくれたらと願うばかり。

そして画家の意気込みと、企業の「社会的貢献」について、あらためて考えさせられた次第。ちょこっとであっても・・・。

亭主もおすそわけで貰ったそのカレンダー。1年間、楽しくお付き合いさせてもらいます。

2011年12月1日木曜日

「琉球処分」と「東北処分」

防衛省の沖縄防衛局長の「発言」。もちろん許されざるものであることは言うを待たない。

オフレコ懇談と言う中で、酒が入っていたとしても、断罪に値する。それをすっぱ抜いた琉球新報を評価する。そこには沖縄県人としての気骨があるから。

「通販生活」のCMを放送拒否したどっかのテレビ局との落差。

琉球処分。琉球を沖縄として「本土」に組み込んだ明治政府。太平洋戦争で多くの被害を受けた沖縄。戦後、施政権はアメリカにあり、日本でありながら日本でなかった沖縄。「パスポート」を持って沖縄に行った頃が思い出される。

「沖縄の返還無くして日本の戦後は終わらない」。時の総理大臣佐藤栄作はそう言った。返還されて沖縄県が誕生したものの、そこにはなんら解決されない米軍基地。沖縄にとって、戦後は終わっていない。
この国の安全を担保するための沖縄駐留米軍。内地はそれを共有しようとしない。米軍基地を沖縄に閉じ込める。あきらかに「差別」である。

沖縄にたいする、それが、たとえ“無意識”であろうとも「差別」がある。それは、この防衛局長だけでなく、政府はじめ、各所に存在するのではないだろうか。

河北新報という新聞がある。その名の謂われ。かつて「白河以北一山百文」と東北地方が中央政府からさげすまれた頃、それに反意を示すために付けられた新聞社の名。平民宰相と言われた岩手出身の原敬は号を「一山」とした。

地方紙にはそれなりの気骨がある。

東北処分、福島処分。東北差別、福島差別。原発事故を契機に、山百文的感覚が日本人の中に蘇ってきてはいないだろうか。瓦礫処分にしても然り。放射能問題についてはまさに。

米軍基地を沖縄に閉じ込めようとする発想。放射能を福島県内に「閉じ込めよう」とする発想。無意識の「差別」。
野田首相は就任演説で言った。「福島の、東北の復興なくして、日本の再生はありえない」と。佐藤栄作の演説がデジャブする。

放射能と「闘う」福島県民は、かろうじてヒロシマ・ナガサキを語る資格を得たのかもしれない。そして、処分・差別という意識の中では、オキナワを多少は語る資格を得たのかもしれない。苦難の差は彼の地に及ぶべくもないが。

沖縄県の元知事、大田昌秀さんは、その著書の中でこう書いている。
「日本人は醜いー沖縄に関して、わたしはそう断言出来る。“醜い”と指摘したのは心性のことである。理解ある同胞という顔をしながら、痛みの分担になると背を向ける。そんな時にふと見せるのが、仮面の裏に隠された“差別”というもう一つの顔である」と。

福島県民は、いま、仮面舞踏会のステージに立たされているのだろうか。

2011年11月30日水曜日

6万人がいなくなっている・・・

福島県人で他県に避難した人がついに6万人を超えたという。そして県内には9万人の原発難民がいるという。

15万という人が、自分の住む、本来の家を持たない。持てない。哀しく辛い現実。

帰還のための一番の対策は除染といわれているが。除染活動は試行錯誤、暗中模索。

そんな折、またもセシュウム線量高い米が。伊達市。「安全宣言は何だったのだ」。農民は諦めたように淡々と語る。

「もう検査は県や国に頼っていてもしょうがない。我々生産者自らがやるっきゃない」。知り合いの農業に携わる若者。国も県も信用出来ないと怒る。

昨日ネットで見た通信社の配信記事。以下引用。
「 政府は29日、福島県伊達市の旧小国村と旧月舘町で生産されたコメから、国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を上回る放射性セシウムが検出されたことを受け、原子力災害対策特別措置法に基づき、出荷を停止するよう福島県に指示した。藤村修官房長官が同日午後の記者会見で発表した」。 
この記事どう読みますか。出荷停止は小国と月舘。なのに、取りようによっては県内産の米全部が出荷停止とも読める。出荷停止の前に、せめて同地域のという数文字を入れて欲しい。
悪意はないだろうが、こんな記事が風評被害の温床ともなりかねない。

内部被曝はあるのかないのか。外部被曝とどっちが怖いのか。相変わらず専門家の意見は分かれたまま。それぞれが考えて行動するしかないと。
ならば素人で。3人寄れば文殊の知恵ではないけれど、いい知恵がうかぶのかどうか。でも、それしかないかも。一人や二人の専門家の意見よりも、10人の素人の意見の方が正しい場合いだってありうる。「一般意志」の方が。
今年ももうあと1カ月。原発事故対策はこれからが正念場。確たる展望のないまま、木枯らしの中での“闘い”が続く。

家を失った多くの民。家族が離れ離れになっている多くの子供たち。テレビがやっている「ミシュランガイド」星話。
距離感はますます広がる。苦しさや辛さをバネにしてはいあがらなければならないのだけど・・・。
安全宣言を高らかに言った県知事。あれはいったい何だたんだい。依然彼からは何も声が聞こえない。

6万人がいなくなっている・・・

福島県人で他県に避難した人がついに6万人を超えたという。そして県内には9万人の原発難民がいるという。

15万という人が、自分の住む、本来の家を持たない。持てない。哀しく辛い現実。

帰還のための一番の対策は除染といわれているが。除染活動は試行錯誤、暗中模索。

そんな折、またもセシュウム線量高い米が。伊達市。「安全宣言は何だったのだ」。農民は諦めたように淡々と語る。

「もう検査は県や国に頼っていてもしょうがない。我々生産者自らがやるっきゃない」。知り合いの農業に携わる若者。国も県も信用出来ないと怒る。

昨日ネットで見た通信社の配信記事。以下引用。
「 政府は29日、福島県伊達市の旧小国村と旧月舘町で生産されたコメから、国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を上回る放射性セシウムが検出されたことを受け、原子力災害対策特別措置法に基づき、出荷を停止するよう福島県に指示した。藤村修官房長官が同日午後の記者会見で発表した」。 
この記事どう読みますか。出荷停止は小国と月舘。なのに、取りようによっては県内産の米全部が出荷停止とも読める。出荷停止の前に、せめて同地域のという数文字を入れて欲しい。
悪意はないだろうが、こんな記事が風評被害の温床ともなりかねない。

内部被曝はあるのかないのか。外部被曝とどっちが怖いのか。相変わらず専門家の意見は分かれたまま。それぞれが考えて行動するしかないと。
ならば素人で。3人寄れば文殊の知恵ではないけれど、いい知恵がうかぶのかどうか。でも、それしかないかも。一人や二人の専門家の意見よりも、10人の素人の意見の方が正しい場合いだってありうる。「一般意志」の方が。
今年ももうあと1カ月。原発事故対策はこれからが正念場。確たる展望のないまま、木枯らしの中での“闘い”が続く。

家を失った多くの民。家族が離れ離れになっている多くの子供たち。テレビがやっている「ミシュランガイド」星話。
距離感はますます広がる。苦しさや辛さをバネにしてはいあがらなければならないのだけど・・・。
安全宣言を高らかに言った県知事。あれはいったい何だたんだい。依然彼からは何も声が聞こえない。

2011年11月29日火曜日

吉田所長の退任

第一原発の吉田昌郎所長が「病気」で入院。職を退いた。ショックである。
原発事故の収束。それに向けての手探りの状況が続いている時に。

たまたま事故の時の所長であったが、テレビで見る彼の風貌や言動。そして、伝えられる、例えば海水注入などにみられた反骨精神。彼からは強いリーダーシップを見てとっていたのに。

事故現場を束ねる指揮官として、大方が評価していただろうに。

健康診断で「病気」が見つかったという。そして入院したという。短期間で入院せざるを得ない病気だったのだ。

病名や被ばく量について、東電は「個人情報だから明らかにしない」と言っている。病気と被ばくとの因果関係はないと思うというようなことを言っている。

報道はその発表の垂れ流しのみ。

入院する前の記者会見で彼は自分の被ばくについて、「かなり被ばくしていると思います。数値は言えませんが・・・」と笑いながら言っていた。

病名や被ばく線量。東電は明らかにすべきである。しなければならない。個人情報云々のケースではない。
なぜなら、他の現場作業員についても言えることなのだから。

ここまで来てまだ一種の「隠ぺい」をはかる東電の体質。

政治家もダメ。県知事もダメ。リーダーがことごとくいない現状にあって、唯一期待されていたリーダーを失う。福島県民にとっては大きな痛手だ。

職を辞さねばならないような病気。大方の人は被ばくとの関係を疑う。あの屈強な男が病む被ばく量とは。そうであるのかないのかはっきりさせねばならない。東電だけでなく国としての責務でもある。

想像するに、現場の作業員たちにも動揺が走っていることだろう。被ばくによる「病気」ではないにしても、強いリーダーを失ったことによる士気の低下。

20キロ30キロ圏内含めて、避難民も含めて、いわば「捨て身」の覚悟で事故処理に当たっている3,000人の作業員が頼りなのだ。

単なる「病気」だけだったら、彼は職を自ら辞すことを避けたと思う。彼の双肩にかかっていたものは大きい。それを自覚している人と見えたから。

だから勝手に思ってしまう。本社や政府の意に沿わない言動や行動を続ける彼に「病気療養」を口実に退任を迫ったのではないかとも。

新所長は事故発生時の現場の空気を知らない。「死ぬかと思った」。そう“覚悟”した吉田所長だから、その後の様々な困難な対応が出来たのではないかと。

半月間、現場には所長はいなかった。これもある意味驚愕の事実。

吉田所長が作業員に充てた「お詫び」文書に込められた意志を受け取り、現場で働く人たちの奮起を願うのみ。そして健康を。作業員の被ばく管理、もっと徹底的にやる必要あり。

東電はもう失うものは何も無いはず。

彼の復活を祈る。

とりあえずマスコミは「スルー」したようだけど、今週発売の、次週発売の週刊誌は、あることないこと書きまくるだろう。風評をあおりたてるだろう。

それらによる人心のかく乱。それを阻止するためにも東電は全てを「公開」すべきなのだ。吉田さんほどの人、個人情報の開示を拒むわけはないと思うのだが。

2011年11月28日月曜日

大阪と福島と

大阪のダブル選挙。維新の会が圧勝。新しい知事の知名度は低く、新しい市長の名前は全国区。市長が知事をリードして「大阪都構想」なるものを実現させるとか。

この都構想、大阪の人もよくわかっていない。TPPのように。ダブル選挙、要は「人気投票」だったのか。大阪府民、大阪市民が強いリーダーを求めたことの結果か。「独裁」を標榜しても、それを「否」としないほどの閉塞感が大阪にあったということか。

もし「独裁」が敢行されたら誰がチェックする、阻止するってマスコミは言っているけど、それはあなた方のお仕事でしょ。

強いリーダー。やはり時代の要請か。今朝の週刊誌アエラの広告にあった。
「ブータン幸せ、大阪府市合わせ」。なんか久々合点がいくコピー。幸福度最下位だった大阪。橋下くんがわめいていた、それからの脱却。「府市合わせ」で幸せ度上がるのか。

大阪にも福島県から「避難」している人たちがいます。住民票移してないから選挙権はないけれど、この選挙どう見たのか。どう思ったのか。なんでもいい、大声で物をいうリーダーが欲しいと思ったか。

伊丹空港から大阪市内につながる高速道路。大阪市内の中心部に行く時降りるインターチェンジは「福島」。大阪にも福島という地名がある。彼我の「福島」の関係は知りませんが・・・。

昔から大阪は「商人の町」と言われてきました。「大阪商人」。その商人たちが選んだ新しい政治体制。全国にどう波及していくのか。既成政党はその存在意義を問われているのか。早くも大阪にすり寄る魑魅魍魎的な政治家たち。

今朝の朝日歌壇。「福島を“負苦島”にして冬が来る 汚染されたるまんまの大地」。福島市の人の投稿。苦しみを背負った島か・・・。

「不苦島」にならないかな。苦しみの無い島。無理かも。浮かんでくる四苦八苦の言葉。八苦の一つ。求不得苦。求めても得られない苦しみ。

被災地には四苦八苦がすべて「存在」している。生老病死からはじまって、愛するひとと別れなければならない苦しみ、愛別離苦まで。

あ、通販生活買ってきました。なんと180円。読み応えあり。しかも付録付き。安い、安い。つまらん週刊誌買うなかれと(笑)。読破には数日かかりそう。

2011年11月27日日曜日

「被災者に元気をもらう」ということ

今夜はサッカーオリンピック最終予選のシリア戦。勝ってほしいけど。

そろそろ終わりに近づいたJリーグ。ベガルタ仙台が5位以上を確定させたとか。リーグ開始時は11戦連勝だった。J2に降格していたチーム。被災県のチーム。

かつての友人にネットのハンドルネームを「ペガサポ」と付けていた人がいた。
初めは何のことかわからなかったが、書いている内容を見るとサッカーのことがほとんど。そこで判明。ベガルタのサポーターの略だったことが。

J1チームーを持つ仙台が羨ましいと思ったこともしばしばあり。野球の楽天もあるし。こっちには何にもないや(笑)。

そのベガルタ仙台の監督が言っている。被災した選手もいる中で、全力を引き出すことは難しかった。そのためにしたことは被災者との触れ合い。瓦礫を片付けたり、子供たちと球をけったり。「立ちあがろうとする人の姿を見たら、元気をなくしてる場合じゃないと思った」と選手達は思ったという。

被災した人達に元気を貰う。貰った。このサッカー戦手達。もちろんベガルタだけではなく、他のスポーツ選手も、慰問に行って逆に励まされてきたと感じた人達・・・。

多分、ボランティアに行った人達もそうだったんじゃないかと思う。避難所に行ってその実態を見て、励ましに行ったのが逆に、まさに逆境にある人からもらってきたものが多いという。

励ましとか元気とか。強者が弱者に与えるものではない。むしろ弱者からもらえるもの。

被災者、避難民。「可哀そうな人」という一語でくくる向きもある。たしかにその生活は気の毒の一語に尽きよう。しかし、一語で括っての弱者や被災者ではない。
その中に身を置いてみると学ぶことがいっぱいある。「俺なんかまだまだ恵まれているのに」。そう思うともうちょっと何か出来ないかと考えたりする。

ベガルタの監督は言う。「リーグ戦が終わったら、選手を集めて被災地に行きたい」と。

絆というものがあるのだとすれば、たぶんこういうことなのかも。

被災地の人の力は実は凄いのだぞ。そうかんじる時がしばしばある。そして、改めてそれを実感した次第。

原発被害農家の人が語っていた。都会に住む人達に訴えたいこととして。「食べ物も労働力も電力も、みなさんの生活は福島や東北によって成り立っていることに思いをはせてほしい。私たちは長い時間をかけて冷害を克服しながら、何とかここまで農業を築き上げてきた。荒れてしまったこの農地を見てほしい。せめて、事故がもたらしたこの状況を皆で共有しよう」。

これからのキーワード。それは「共有」なのだとこれまた再認識。

2011年11月26日土曜日

スイミングだ~~~

さっき隣の子供とぱったり出会い。
「マナト、どこ行くの?」
「これからスイミングだ~~」。嬉しそうに可愛い笑顔で。

そうか、きょうは土曜日だ。学校休み。市内のプールに行くらしい。
なんたって子供は身体を動かすのが一番。運動しないと発達も送れるし、運動不足によるストレスの影響大とか。

大気を吸えないのは気の毒だけど、思いっきり身体を動かして来い。

今、郡山市では、いや福島市でもそうだけど、子供の運動不足が深刻な問題。
子供がストレス抱えると親にも“伝染”する。
家の中ではゲーム機で遊んでいると言ってたけど。小学校2年生、震災前は家の周りで飛び跳ねていた子。

子供のための遊び場。徐々に作られ始めています。どっかの調査では福島県の子供の発育が大幅にダウンしているという数字あり。もしかしたら放射能以上に大きな影響あるのでないかとも。

大型遊戯施設が大手スーパーの協力で3億円かけて来月完成予定。トランポリンのようなものから始まって砂場まで。

子供の歓声と笑顔は大人に力をくれる。

子供を連れて「避難」するのも結構。しかし、この地に踏ん張らねばならない人が大多数。この地で大人が子供を守る術は。

思いっきり遊ばせること。

子供が泳げるスイミング施設があってよかった。遊ぶ施設が出来つつsるのがうれしい。

そういえば亭主。震災前までは時々スポーツジムに通っていました。ジムとプール。プールでは20分ほど歩き・・・。

震災後行かなくなりました。一回行ったのですが、館内に漂う雰囲気の違和感。
会員さん同士で交わされている会話の違和感。そんなこんなで先日決意。休会届を出してきました。まったく無駄に引き落とされていた月会費。

運動不足は亭主の健康を“直撃”しているようです。筋肉は無くなり、体調すぐれず。腹が・・・。散歩と家でのストレッチだけでもすればいいのでしょうが。なにせものぐさ(笑)。隣のマナトにくっついてプール行くわけにもいかず。

生活のリズム改めないと。

2011年11月25日金曜日

「通販生活」が凄いらしい

亭主はいわゆる「通販」で買い物をしたことがありません。従って、いわゆるカタログ誌とは無縁であります。たまにいきなり送られてくるのがあっても無視。

テレビはいわゆる「テレショップ」。通販みたいなものが相変わらず“全盛”。BSなんてどこを回してもテレショップ番組ばかりの時も。

テレショップ番組にいささか疑義をはさんでいる広告評論家、コラムニストの天野祐吉さんが先日書いていたコラムで、カタログ雑誌「通販生活」を褒めていた。絶賛に近い。通販雑誌なのに、まさにジャーナリズムであると。

そういわれれば時々テレビのCMで目にしていた「通販生活誌」のCM。「わたしも通販生活しています」と著名人が登場してたっけ。

その通販生活誌の「通販生活 秋冬号」のCMをテレビはOA拒否したと天野氏が批判。

なぜか。表紙に書かれた「原発国民投票を」というにがお気に召さなかったらしい。テレビ局の。

新聞の論壇時評という欄で、作家の高橋源一郎さんもこの通販生活誌を取り上げている。この秋、もっとも充実した「論壇」誌だと。

「原発国民投票のための勉強」という記事があって、いろんな人に原発震災について語らせているとか。そして、ここからがミソ。「電気をつかわないかまどご飯」が巻頭特集であり、次の特集が「脱原発時代の暖かい暮らし」と銘打って、「窓から逃げる暖かい空気を遮断するカーテン」の紹介や、「メイド。イン・東北」で売っているのは「気の毒だから買ってあげよう」ではなく「品質にこだわって選んだ東北の品々」だとか。

論壇誌以上に「ライフスタイルの提案」以上の何かを感じるものがあると作家は指摘している。そして曰く。「テレビにCMを拒否されるのは最強の論壇誌の証明と。

この通販誌の「センス」凄いですね。通販誌をあなどってはいけないのかも。

早速本屋に聞いてみました。この本あるかと。在庫ありですとの返答。よし、なけなしの財布はたいて、昼飯代カットして通販生活誌買ってみないと。

記事を読んでカタログ見て、つい何か買ってしまうかな。そこは自己抑制(笑)。
読んでみたくなった、見てみたくなった通販誌。

でも、いつから通販誌って誕生したんだろう。経済成長の真っただ中で産声あげたものだったのかもしれない。そして時代を経て「買い物難民」が続出する当世。通販誌の存在も見直されてくるのかな。

やばい。ちょっと入り込んでいる(笑)。

2011年11月24日木曜日

「無主物」

無主物。誰の所有にも属さないものを言う。ごみ置き場に置いてある新聞紙などを廃品回収業者が持ち去ることは、民法に規定されている無主物先占の考えにより、持ち去りはいけないとされている解釈もある。。ゴミは誰のものかという議論や法律の判断。ゴミは無主物であるという考え、つまり占有している人はいないという考えと、処理業者が持っていくまで、一時的に手を離れているものであり、無主物ではないという考えも。

すみません。面倒くさい理屈っぽい話で。

原発事故で飛び散った放射性物質は「誰のものか」。東電は「放射性物質はもともと無主物である」と言う。飛び散った放射性物質は「所有」していないという。

ゴルフ場に飛び散り、ゴルフ場を汚染した放射能。それはそのゴルフ場の土地に付着してしまっているのだから、自分たちのものではないと主張している。

除染を求めたゴルフ場の訴えを裁判所は退けた。

ゴルフ場で池ポチャしたボールはそのボールを打った人が所有権を放棄したものとみなされ、ゴルフ場の所有物となる。
自販機で取り忘れたお釣りは無主物ではなく、自販機の管理者が所有するもの。だから「お釣り泥棒」は犯罪となるとか。

今後、原発事故を巡っての裁判はたぶん多発していくでしょう。裁判所の力量が試されます。

既存の法律の中で、原発を裁けるのか。裁判所は、どこまで介入出来るのか。

オウム裁判が終わりました。死刑判決は出たけれど、事件の「真相」はまったく解明されていない。裁判にはやはり「限度」がある。

放射能は誰のものか。市民感覚からすれば、土に付着したとしても、土の所有者はゴルフ場だとしても、「無主物」という、法律的概念だけで、この問題を裁くのはおかしい。そもそもは東電が所有していた原発から出たものだ。

東電の法令担当者や顧問弁護士さん。民法の解釈を“拡大”しないでくださいな。

田んぼや家の庭に付着した放射性物質は「無主物」か。そんなバカな話がまかり通るっていう法治国家はおかしいよ。

2011年11月23日水曜日

評価されない県知事

福島県議選が終わりました。選挙はおわったものの。候補者のポスターを貼った選管の看板はそのまま。
めちゃくちゃ低かった投票率。なんかこれみよがしのように看板は撤去されない・・・。

当選した県議さんたちの県知事への評価アンケートが新聞に載っていました。
震災後の対応評価です。

原発事故への対応を評価する側が19人。評価しない側が39人。政党を問いません。県議会は県知事の原発対応を評価していないという事実。

新人もいるとは言え、県議も知事も政治家。玄人同士の評価。素人の県民感情はもっと厳しいかと。

それは何ゆえか。県知事がほとんどメッセージを発しないからです。ブータン国王のメッセージに感銘を受けた県民からすれば、ふと我に帰って身の周りを見回した時、県知事から何も伝えられていないことに気付いた・・・。

ブータン国王の先導役みたいなことはやっていた。首相や天皇陛下が避難所を視察に来た時にも先導役はやっていた。でも滅多に言葉を発しない。

福島市の大波地区の米からセシュム検出。出荷停止。県知事は黙して語らず。
少し前、「安全宣言」の時は顔見せてなにやら得意そうに、安心したと喋っていたのですが。良いとこだけには顔を出す。

県知事と東電の間には、いろんな意味で緊張関係がありました。福島県の歴史。
原発事故。緊張関係は崩れました。

東電の面会を拒否し、やっと会ったら罵倒。閣僚が来県すると「国の責任で。国の責任で」を言うばかり。

数日前の全国知事会でも福島県知事の発言があったのかどうか。記事にはなっていなかった。

県知事と言えば、古いたとえですが、「一国一城の主」。領民の、民の安寧のために、言葉を発し、希望を与え、「幕府」ともっともっと交渉すべきなんですが。

「いついつまでにこうする。何をする」。そういう見通しを、展望を述べないと。

この知事のもとでは夢も希望も無い。福島県を去った県民も多くいる。単に放射能がこわいだけでなく、先の見通しがないなかで見切りをつける。
県の人口が激減している理由の一つに知事の不作為があるのではないかと思ってしまう。

沈黙は金ではない。不安と焦燥感を産む。
任期はまだ3年もある。黙っている知事に黙っている県民・・・。

2011年11月22日火曜日

「社員食堂」

「タニタの社員食堂」という本がバカ売れ、ベストセラーだという。それにあやかってか、栄養短大など「学生食堂」の本も売れているとか。学食にはわざわざ出かける年配者やサラリーマンまでいるとか。

栄養士が管理した、カロリー計算したレシピ。健康本ブーム。

そうでしょうね。だれしも健康には気をつけるもの。健康、健康。それに越したことはないのですが。

書店に積まれていた原発本はその場を明け渡した健康本。なんたって「食」は人間にとって一番大事なことですから。

だからでは無いけど食の汚染とやらがなんでもかんでも「問題視」される。福島産は敬遠される。

いつもは刈り取られているはずの柿。今年は取り入れもされず。木につり下がったまま。哀しい光景。

県北名物のあんぽ柿も出荷見合わせ・・・。賠償金という金の問題だけではなくなっている。農家は生き方が“否定”されたようだと。金さえ払えばいいということではなくなった。

一日3,000人が働いているという原発事故現場。「原発の社員食堂」はどうなっているんだろう。過酷な食生活はだいぶ改善されたと誰かが言っていたけれど。

栄養士が常駐していて、タニタの社員食堂のようなきちんとした食事はとっているのだろうか。ちゃんと食わなければ気力も体力も湧かない。抵抗力だってつかない。

震災直後のあの避難所の光景。支援物資のパンとカップラーメンばかりだった人たち・・・。
乾パン一個で数日の飢えをしのいでいた自衛隊。

ほんと気になる原発事故現場の作業員の食事。

なぜかテレビは申し合わせたように「食べ物番組」ばかりが目立つ。

ここ数年ですっかり「食が細く」なってしまった亭主。自分では興味はないけれど、人さまの食の光景はなにかと気になる。

タニタの社員食堂も、もとはといえば社員のカロリーの取りすぎから出来上がったものらしい。
ほとんどの日本人はカロリー取りすぎの食事をずっとしてきたのだ。

「健康」。だれにとっても公平であって欲しいのだけど。

食のせいではない。最近の運動不足で、いささか腹囲が大きくなったような亭主。一応きになりながらタニタの体脂肪計に乗る毎日・・・。

2011年11月21日月曜日

「原発」が菩薩であるということ

文殊菩薩は智慧を司る仏様のことです。
普賢菩薩は普く賢い者であり、人々を救う仏様です。

二人の仏さまの名前が「原発」に付けられている。付けられていた。この耐えがたい違和感。

高速増殖炉だって原発に変わりなし。「ふげん」は廃炉に向かっているがなんと終わるのは2026年。

その「もんじゅ」さまにケチがついた。政府の行政刷新会議でやり玉に。抜本的見直しを提言とか。

まだ稼働もしていない、増殖炉。そこにつぎ込まれている大量の金。びっくりしましたね。一日当たり5,500万円が使われている。これまでに2,4兆円が使われてしまった。夢の高速増殖炉。1995年にはナトリウム漏れの〝事故“も起こしている。

聞くところによると、もんじゅ・ふげんの名をつけたのは永平寺の当時の管主だったとか。純粋に、原発のいかなるものかよりも、それへの願い、智慧を持ち、人々を救うという祈りをこめて付けたのだと思いますが。

「もんじゅ」という字が紙面に躍る度に、仏教者たちはどんな思いをしているのか。

なんだか、やるせないですね。

もんじゅ予算はいくらか削られるようだけど・・・。もう、「夢の増殖炉」もいらないのでは。これまでかけた金が無駄になったとしても。
そりゃ立地地域にしては大問題であろうけど。

質素で謙虚。そう言い残していったブータン国王が、まさに「菩薩」さまに見えるような。

文殊菩薩や普賢菩薩は、名前を勝手に使われただけというかもしれないが、どう思っておいでなのか。この原発事故の現状を。

2011年11月20日日曜日

仮設にコンビニが出来た

ビッグパレット脇にある富岡町と川内村の住民が住む仮設。車のある人は、数キロ先のスーパーなどに買物に行っていましたが。

原発難民は買物難民でもある。車も無く足の悪い高齢者の方も見かけていました。

その仮設の近くにコンビニが出来ました。セブンイレブン。店舗は「仮設」。プレハブ。でもそこそこの品ぞろい。
店舗の前には、それを建てたであろう建設会社のテントがはってあり、ボランティア活動の様子。

住民からは近くに出来たセブンイレブンに「助かった」と歓迎しているようです。

いわき市にも仮設の商店街が出来、岩手の釜石にも仮設商店街が出来た。商店街は人の交流にもつながる。


そして、セブンイレブンのよる移動販売車「セブン安心お届け便」というのも出来ている。販売員と客との間に新しいコミュニケーションが生まれている。

震災によって生まれた新しいビジネスモデル。大手スーパーも参入するとか。

「生活インフラ」。収益性は少なくても企業としての一種の使命感。
そして甦ったような「御用聞き」。商店街と住民との間をとりもった御用聞き。

そこには「会話」が生まれる。やがて人の消息にまでつながるかもしれない。

ビッグパレットの近辺、仮設の周りは夜は暗い。仮設のコンビニの灯りが、そこに暮らさざるを得ない人達のちょっとした支えになってくれればいいのだが。

店員さんが明るい笑顔で接客してくれれば、束の間、「普通の暮らし」の感覚が取り戻せるかもしれないし・・・。

高齢化社会。首都圏郊外でも、「買物難民」のために、移動販売車が走りはじめているという。

コンビニ業界、捨てたもんじゃないと。

2011年11月19日土曜日

大きく強い龍に

ほんとうにこの人は良い事を言う。良い言葉を発してくれる。千金に値する言葉を。

「あなた方の中には龍が住んでいます。人格という龍です。年をとって経験を積むほど、その龍は大きく強くなっていきます」。

相馬市の小学校を訪れたブータン国王は子供たちにそう話しかけていた。

龍かーーー。なるほど。国旗にも印されている龍。ブータン国旗の意義がわかった。すべての国旗には意味があると。

幸福度感じる国民が98%の国。幸福度とは決して物質的な幸福ではなく、こころの幸福。

この言葉に励まされました。年甲斐も無く。自分の中にある龍を大事にしなければと。

相馬市の子供たちにもとどいたこの言葉。みんな「一番印象的だった」と言っていた。

子供たちはきっと育てるでしょう。自分の中の龍を、何物にも負けない強い龍を。

幸福度。どっかの大学の研究室がやった日本の都道府県別の幸福度調査。その一大学の調査結果をネタに「大阪府はワーストワンだ。それを立て直すんだ」と選挙の売り込みに使う候補者。

ブータンと日本では、最大の理解国であり友好国であるにもかかわらず、「幸福」という尺度は180度違う。

物質的豊かさイコール幸福。もうそんな価値観を捨てないとダメなこの国。

中島みゆきだって歌っている。銀の龍の背に乗って。

「あの蒼ざめた海の彼方で、今まさに誰かが傷んでいる。
 まだ飛べない雛たちみたいに、僕はこの非力を嘆いている。
 急げ悲しみ、翼に変われ。急げ傷跡、羅針盤になれ。
 
 夢が迎えに来てくれるまで、震えて待ってるだけだった昨日。
 明日、僕は龍の足もとに崖を登り、呼ぶよ、さあ、行こうぜ。

 銀の龍の背に乗って、届けに行こう命の砂漠へ
 銀の龍の背に乗って、運んで行こう雨雲の渦を・・・」

昨日までは待っているだけだった龍。今日、その龍が来た。さあ、明日からは、行こうぜと呼びかけあって、届けにいこう、運んでいこう。

ワンチュク国王がそう大人たちにも言っているような。

ブータンから貰った「龍」。我々はそれを育てる責務がある。もし、貰っていないと思ったら、それを取り戻しにいかないと・・・。

2011年11月18日金曜日

ブータン国王がもたらしたもの

国賓として来日中のブータン、ワンチュク国王。その国会演説をきょうユーチューブで見た。書き起こしもネットで見た。

人口七十万人。ヒマラヤの小さな国。GNPではなくGNH、国民総幸福度を大事な指標にする国。

素晴らしい演説だった。
東日本大震災に触れて、「このような不幸から強く立ち上げることが出来る国があるとすれば、日本と日本国民だ」。
日本人の誇りをかきたて、希望を与える言葉。日本の指導者からは聞いたことが無い。

ヤジと怒号しか聞かれない国会の本会議場。たしかに多くの議員が聞き入っていた。演説が終わると総立ちで拍手。中には励まされた議員もいたかもしれない。そして、国賓だけに催される晩さん会。これを欠席して政治資金パーティーの出て、ネタ話にしていたバカな閣僚もいる。

演説で国王はこうも述べている。
「我々ブータン人は皆様とともにあります。我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです」。
震災後すぐに八千万円の義援金を送ってきてくれた国。そんなに豊かな国では無いはずです。財政的には。震災後、多くの国民が寺院に出向き、大震災の犠牲者に祈りをささげたという国。

「ブータン人は何世紀も続けてきたように人々のあいだに深い調和の精神を持ち、質素で謙虚な生活を続けています。
今日のめまぐるしく変化する世界において、国民が何よりも調和を重んじる社会、若者が優れた才能、勇気や品位を持ち先祖の価値観によって導かれる社会。そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、私は最も誇りに思います」とも。

天皇陛下は、このブータン国王の来日を心待ちにしていたのではないだろうか。
自らは口に出来ない思いをブータン国王なら言ってくれるのではないかと期待されていたのかもしれない。
ブータン興王の言葉は天皇陛下と同じ思いではなかったのだろうかと思ってみたりする。

病と得られた天皇にとって、会見が出来なかったことが一番心残りなのではないだろうか。

かつて日本人が大事にしていた言葉。「知行合一」。それにも言及した。

日本人が最初にブータン王国に入ったのは昭和33年だという。国交樹立して25年。
西岡さんという農業研究者が、大根を植え、収穫し、食糧自給率86%の国にする礎を築いたという。その日本人への「恩義」を絶対忘れないというブータン国民・・・。

昭和天皇が崩御された時、「弔問外交」が交わされ、多くの国の首脳は日本からの経済援助を求めた。そんな中、弔問に訪れたブータン国王はこう言ったという。「私は弔意を示しに来たのです。金を無心に来たのではありません」と。

今頃、相馬市で小学生と歓談しているのかも。被災した人たちに国王が与えたメッセージの意味は大きい。

それにしても・・・。なんで・・・。
こんないい演説を既存メディアななぜきちんと伝えないのだろう。NHKは中継すべきだった。新聞は演説全文を掲載すべきだった。

いま、日本が必要としている言葉をメディアはきちんと伝えないという現実。今の日本人の心の“貧困”を物語っているのか。

2011年11月17日木曜日

友あり、遠方より行く・・・

きのう、東京でした。昔いた会社のOB会。記者とカメラマン。高齢者ばかりです。
場所は東京六本木。昔の通称テレ朝通りからちょっと入った会館。麻布霞会館。よく歓送迎会などで使っていたところです。改修されていました。昔の面影無し。迷って到着。

六本木界隈。六本木ヒルズなるものが出来て、再開発がされて、町のたたずまいは一変しています。テレ朝があった場所は大きなホテルが建っており、テレ朝通りの建物もほとんど変わっており。馴染みだった店はことごとく無く。

何十年も寝ずに働いた地。面影はありません。道が無かったところに道が出来、あったはずの道が無くなっている・・・。

「ここは俺の居たとこじゃないよ」。都市は変貌するもの。致し方ないこととはいえ、無情です。故郷が無くなった気分です。

ふと連想する原発20キロ、3キロ圏内。何年か何十年後には、町は消え、面影は無くなってしまうだろうということ。事の本質は別にして・・・。

OB会。歓迎されました。

「お、放射能運んできたか」と言って固く手を握ってくれた先輩。思いっきりの笑顔で。震災後、電話が通じない時にいち早く手紙をくれた先輩です。

震災後、二度にわたって「支援物資」を送ってくれた先輩も。「来てくれてありがとう」と。

思い出話に花を咲かせ、近況報告。「地震で家は損壊し、放射能騒ぎでいろいろだけど、かえって楽しくやってます。ここにいる皆さんはもう老い先短い。米や野菜はいくらでも送ります。美味いもの食べてください」と亭主毒舌。
そうなんです。この頃の時代の人たちは皆毒舌なんです。毒舌の下に優しさがある世代。

「大変だったね」とねぎらい受けるのが面映ゆいくらい。

三河島事故、鶴見事故と多くの死者を出した事故の現場を撮影してきたカメラマンかとは、今度の震災津波で、死者を写さない、放送しないことの是非論も交わされ。

OB会の前に、近所に稽古場と住まいを持つ、地唄舞、神崎流の家元と旧交を温めました。古い木造家屋だった稽古場。耐震構造にしなくてならないという「おふれ」で、鉄筋構造の家に建て替えたとか。多額の借金をして。
高層ビルの下で暮らす昔からの住民はなにかと住みにくいとか。そのお家元、阿川佐和子さんと中高同級生とか。二人でトークショーやって収益を被災地に寄付したそうです。

都心の再開発。見るたびに違和感を覚えます。林立している巨大なビルには恐怖を感じます。町並みは変わるものとはわかっていても。

東京は秋晴れ。無風。とんぼ返りした郡山は風は吹き、気温低く、雨も・・。
まさに物理的温度差。

夜は「日本酒道会」の秋の例会。春は震災の影響で中止になっていたもの。そういえばOB会も当初は3月末に予定されていた・・・。延期物件、同じ日に二つ。昼はビールで夜は日本酒。さすがにきょうは・・・

2011年11月16日水曜日

不自由な言葉たち

震災後―。流言飛語をはじめとして、ネット上ではいかがわしい言葉が飛び交い、言葉の暴力が・・・。
そして「死の町」や「バカな奴」発言が指弾され、攻撃対象とされた東電や政府への罵詈雑言。

「福島切り」なんて言葉もあるらしい。日本人は「差別がお好き」とも。なんとかいう俳優?はヒステリックに叫んでいるとか。先日行われた福島路を走る東日本女子駅伝を。若い女の子を死なせるのかと言わんばかりに。側溝走るんじゃないですよ。吸う空気は地上1,5メートル以上。0、いくつマイクロシーベルト。しかも数時間・・・。

そんな奴らをテレビは出演させ、ともに「風評被害」をまき散らしている。テレビは風評の発信地だとさえ言いたくなるのであります。

テレビを見ていたら、楽天の前監督の野村克也さんが、選手の育て方とか選手と監督の関係について話していました。その時の野村監督の弁。「放送禁止用語で言えないが・・・」。何だろう。話の前後の脈絡からして「あきめくら」と言いたかったんじゃないかと。

たしかに「めくら」は視覚障害者にとっての差別用語とされ、放送禁止用語とされていましたが。なぜ禁止用語を、自主規制用語をつくるのか。ある種の団体からの抗議が怖いからなんです。
大学センター試験が始まった頃使われた「足切り」。これもいつの間にか禁止用語に。
あげく、交通機関の乱れ。「何万人の足が奪われた」。これもダメ。足を奪うってのはダメ。

被災地には「部落」があった。みんな部落と呼び合っていた。自分の住む部落を誇りに思っていた。でも部落という言葉は使えない。禁止用語。被差別部落問題、同和の余波。

たぶん、マスコミは「地域」とか「地区」とかという呼称を使っているだろう。

盲蛇に怖じず。諺がある。これ使えないのか。盲判、メクラバン。これも駄目なの?

めくらーと入力してもパソコンは変換してくれない。「もう」と入れたら出てくる盲の字。

放送禁止用語、差別用語。だれがどういう基準で決めるのか。言葉は生き物。使う人に「差別」の意識があるかどうか。

意思を通わせ合う言葉が不自由だ。「福島はダメ」「福島切り」。差別用語は、放送禁止用語はどこにも含まれていない。だけど、度し難い最大の差別用語だとおもうのですが。

2011年11月15日火曜日

天下の大患

ここ数日、またもや野田内閣の支持率世論調査が報道されている。
横並びのように支持率低下。焦点はTPP交渉。

やがて支持率30%台になれば、「危険水域」なんて書き出すのだろう。
亭主、別に野田支持でもなんでもありませんが、なんか嫌な予感あり。

メディアの報道姿勢。野田は説明不足だ、リーダーシップに欠ける。あげく党内の“内紛”おもしろおかしく伝え、野党の無責任言動を是とするかのように伝え。
そりゃ刷り込まれますよ。TPPのなんぞやを知らない人にまで。

そして調査をすれば、支持率減るのは当然。質問の仕方も「報道」をもとにだもの。

追いこんで、追いこんで、また、「辞めろ」と主張するのかな。その一方では、年中変わる首相。諸外国の信頼失墜と社説なんかで書く。

テレビには元官僚の論客を連日登場させ、官僚叩きに溜飲を下げる。叩かれる官僚は黙している。しかし、仕返しの機会窺う。

キャスターと称する輩は「被災地に目を向けろ。この現実をなんとする。国の責任、責任だ」と連呼する。

非難、誹謗の日々は何の解決策ももたらさない。

いまメディアの興味をひくのは全国に広がっているような「放射能汚染」だけか。「汚染」の二文字がどれだけ反響を呼び、人心をかく乱しているのかご存じか。

「心からのお願いです。心からのお願いです」。ウグイス嬢と称する金切り声が町中を走っている。県議選真っ最中。「市民の皆様を放射能の恐怖から守ります」。え、そんなこと言いきれるの。

届いた選挙広報。誰を見ても同じことばかり。書いてあることだけは。県知事にもの申したと豪語する御方もおいでだが。

この時期、この土地になぜか選挙は不似合いのような。

メディアの立ち位置にも大いなるかい離を覚える。

吉田松陰の言葉を引く。

「天下の大患は、其の大患たる所以を知らざるに在り」。
世の中の大いに憂うべきことは、国が大いに憂慮すべき状態にある理由を知らないことにあるという解釈か。その理由は明白。メディアのあり方。メディアのある意味“暴走”。それを自覚していない。

松陰の語は続く。
「いやしくも大患の大患たる所以を知らば、いずくんぞ之が計を為さざるを得んや」。
仮にもその憂慮すべき事態になる理由を知れば、どうしてその対応策を立てないでいられようか。立てるべきであると読む。

メディアが大患だとすれば、それへの対応をどうすればいいのか。リテラシー能力なんていう言葉では片づけられないが・・・。

患とは悩み、憂い、病気。名医はいずこにありや。

2011年11月14日月曜日

フラガールズ

昨日の話の続きです。結婚式の。
神宮外苑のイチョウの樹。落ち葉はまだ数葉。前日の雨に打たれ、歩道を歩く人に踏みしだかれて地面にこびりついていました。
本格的な落葉はこれからなのでしょう。木々は緑でした・・・。

新婦の名前は「さやか」ちゃん。ニックネームは「さやん」と言うそうです。

驚きました。この新郎新婦。当初の披露宴の予定は3月12日だった。前日の3月11日。午前中に区役所に行って婚姻届を出していました。そして翌日の準備をしていたところに震災・・・。

この夫婦の結婚記念日は3・11です。喜びと悲劇と悲しみと苦しみをすべて味わった2011年3月11日。

さやかちゃんは福島県でアナウンサーをしていた時に、フラダンスと出会いました。そのころフラガールの映画がヒットしていたからでしょうか。
当時在籍していた女子アナ6人で「KFBフラガールズ」というのを結成しました。仕事が終わった後、皆で集まって先生招いて練習をしていたみたいです。
かなり難しかったらしい。
念願かなって(いや、当然“談合”もあったでしょうが^^)、いわきの常磐ハワイアンセンター、古いかこの呼び名。スパリゾートハワイアンズのステージに立ち、本職のフラガールと共演しました。その番組もありました。

思い出すに、さやかの(いつの間にか呼び捨)入社時の履歴書に趣味は三味線、日本舞踊と書いてあったような気がします。
きのう配られた席次表。そこには、趣味フラダンスと書いてありました。東京に戻ってからもフラダンスの教室に通っていたようです。

披露宴の余興がそのフラダンス。北海道や名古屋に行った当時の同僚の女子アナも参集。フラガールズ“再結成”。
ドレス姿で踊る新婦の目には大粒の涙が・・・。

いわきのハワイアンズ。復興のシンボルです。そして、被災したフラガール達は避難所を回り、回り。笑顔を見せながら、自分たちの悲しみや苦しみを微塵も見せずに被災者たちを激励し続けてきました。

披露宴会場のステージで踊るフラダンス。KFBフラガールズ。彼女たちには単なる余興ではない、もっともっと秘めた深い、強い思いが込められていたような。

列席していた人たちに彼女たちの思いが伝わってくれたらいいなとしみじみ感じ入っていた次第。

お約束の祝辞をやってきました。新郎の名前が幸司くん。幸いという字が入っています。新郎の来賓あいさつでも「お幸せに」という言葉がありました。

新郎・新婦に聞きました。「幸せかい?」って。もちろん二人とも幸せですと答える。「どういう字を書く?」と聞く。はい、亭主は意地悪です。
「幸福の幸です」と答える。

幸という字は漢字。中国から来た字。日本語では、日本の字では「仕合せ」と書く。仕という字の意味は為る。為るを合わせる。仕え合わせる。支えあうという意味にもなる。転じて、仕合せという字の本来の意味は「めぐりあわせ」ということ。
そういう「仕合せ」になってくださいと。
仮設にいる人たちへのメッセージも込めて。

震災や原発の話もちょっとしました。そしてまたクソ爺の余計なひと言。
俵万智に有名な句。「寒いねと語りかければ寒いねと答える人のいる暖かさ」。
そんな夫婦になってくださいと。

仮設で孤独死が出始めています。寒い東北の冬。語りかける人のいない仮設での独居生活。何を言っても答える人のいない日々の被災者。そんな思いが亭主の頭から常に抜けないからでしょうか。

せめてこの夫婦、3・11に入籍した夫婦。暖かさだけは持ち続けて欲しい。

不自由な体なれども東京駅を走り新幹線に飛び乗った亭主。車内は寒かった。隣席に話かけるわけにもいかず。

「分かつべき人がいるのは幸せと、あなたは強く言っていた、3・11結婚記念日」。新幹線の中でふと思いついた”ぱくり”。サラダを食べるの忘れてた・・・・。

2011年11月13日日曜日

八か月遅れの結婚式

きょうはこれから東京。結婚式に行ってきます。

現役時代の会社の女子アナウンサー。目出度くの披露宴。なぜか亭主も招待され、しかもスピーチ付き。物好きな女の子もいたもんだ(笑)。
そう言えば、在職時に言われてました。「私の結婚式には是非出席してくださいね」。「わかった。花嫁衣装見たらブスって言ってやるから」。
彼女が福島にいたのは4年間位か。大学出てたまたま入社。ここ何年かは東京でフリー。そうそう、福島時代は女子サッカー、東電マリーゼの担当でした。

足しげくJビレッジに通っていました。ブログも連日マリーゼでした。

当初予定していた披露宴は3月14日。その三日前の震災、爆発事故。結婚式の会場だった東京の明治記念館も地震で半壊。当然ながら延期になっていた宴。

事前に購入していた新幹線の切符。震災後しばらくしてから駅に払い戻しに行きました。まだ新幹線は運転再開してない頃。駅舎も半壊のまま。やっと裏道通って入れた駅舎。みどりの窓口。

「ご迷惑をおかけして申し訳けありません」。なぜか謝罪する駅員さん。
「あんたのせいじゃないよ。謝ること無いよ」と慰める亭主。この時ばかりはJR東日本の駅員さんに“好意”覚えた記憶あり。みんな一生懸命に仕事し、みんな、どこかやさしかった・・・。

さてさて問題はきょうのスピーチ。ま、新幹線の中で考えますが。勢い、震災、原発に触れなければならない。東京で東京に人を前にして何を言うか・・・。

ま、成り行きと雰囲気で。

久しぶりに見る神宮外苑のイチョウ並木。葉はおちているのかどうか。落ちていたら数葉拾ってこよう。

またもやとんぼ返りの東京行。「事前に連絡してよ~~」とこの前コメントで怒られた先輩女子アナにまた怒られるの覚悟で。

八か月遅れの結婚式。なんかドラマチックやな。

2011年11月12日土曜日

「風」の仕業

放射能の年間被曝基準。どうやら年間1ミリシーベルトという数字が“定着”したような。最初の頃の20ミリシーベルトという基準には、学者・専門家という人達の多くが泣いたりわめいたり罵倒したり・・・。問題ないと言った学者や研究者は犯罪人扱いされた。

「風」の仕業とタイトル書いたけど、その一つが風という字の入った「風評被害」というもの。

いろんな学者さんがいる。専門家と称する人がいる。大声で1ミリを言う人をメディアは積極的に登場させる。

年間20ミリシーベルト。時間当たりに勘算すると、毎時3,8マイクロシーベルト。1ミリシーベルトだと毎時0,19マイクロシーベルトということになるそうな。

郡山の数値は0,8マイクロシーベルト前後を行き来しています。立派に1ミリシーベルト越え。こりゃ「風評被害対象地域」だ。

0、19を毎日一年間浴びていての1ミリシーベルト。一週間や一カ月滞在していてどうなるものでも無しなんですが。

風評被害。被害者は当然福島県。で、加害者は。学者やマスコミ。鵜呑みにする識者。

責めるつもりは毛頭ありませんが、大いなる自己判断力の欠如、付和雷同かと。
風の仕業って・・・・。

大気中の測定値があまり変わらない。みんな思っている素朴な疑問。答え無し。
ようやく出てきた一つの観測。東大や茨城大学の研究チームの調査。

「地面に落ちた放射性物質が、地面が乾燥することによって風によって舞い上げられ再浮遊したのではないか。土埃となって」。

風の仕業なんですね。風は気まぐれ、気の向くまま。これじゃ、薄い濃度で飛散区域はもっと広がるじゃない。
乾燥は冬とは切ってもきれない自然現象。

これ見たらまた思う人もありやと。「風の強い時には福島に行くのをやめよう」って。

塾生に言いました。「風評被害、風評被害って暗い顔してるな。その顔を映すのがテレビの仕事。仕掛けに乗るな。確かに被害はあるけれど、風評被害ってなんですかって顔して笑ってろ。そしたら県外から来た人はびっくりする。福島の人は皆笑顔だったって。そうすりゃ“風評”は逆に多少は収まるかもよ。人間なんてそんなもんだ」と。

絆と呼びかけても、がんばろうってスローガンを並べても風は吹く時には吹く。

2011年11月11日金曜日

’11・11・11.8カ月

別にどうでもいいことだけど、100年に一回は来る「1」が並ぶ暦。
そして、あの日から8カ月。

“ほぼ日刊いとい新聞”というサイトをやっている糸井重里さんが言っている。
「誰に言うものなのか、よくわからないのですが、この3月に、ほとんどの人たちが、「この痛みは、みんなで分けよう」と思ったはずです。その覚悟が薄められていかないようにと、ぼくは、しつこく東日本大震災のことを言っていきます」。

びっくり。嬉しい。亭主の心情とまったく合致しています。しつこいかどうかはともかく、亭主も8カ月書き続けてきました。

それは、ひとつの「覚悟」だったのかもしれません。

きょうに合わせるように政府にあった一つの会議が消えました。「復興構想会議」。菅直人得意の思いつき会議。結局、何の意味があったのか。「会議詐欺」と命名。

出来た時、亭主もその会議そのものやメンバーをここごとくけなしました。
何の意味もない会議や集まりをどれだけ作り、やってきたのか。

最期の会議後に委員から続出したのは「政府の意思決定、復興策の実施が遅すぎる」という声。ある委員は「与野党ともに復興最優先と言っているが、実行が伴っていない」だったとか。

会議のメンバーになっていた以上はおまえらも同罪って。政府が悪いと言っていれば事足れりとする風潮がこの会議にもあった。被災県の知事だって加わっていたのに。

TPP騒ぎでのここ数日。問題の本質の論議ではなく、一日延ばしたことへの文句。国会もマスコミも。

騒ぎをよそに、今日の閣議で決まったという「除染対策関係閣僚会議」とやら。
お願いだからほんとうに機能してください。
そして伝えられた静岡県の市町村会の瓦礫処分受け入れ決議。東京都につづいて静岡も。県の決定ではないけれど。
こんな動きは広まって欲しい。全国に。苦しみや悩みの「共有」と「シェア」。
シェアはフェイスブックだけの「用語」ではない。

朝日新聞福島総局の記者の「つぶやき」。拝借。

静岡県の市長会と町村会が、被災地のがれき受け入れに前向きに取り組む共同声明をまとめました。川勝知事が「他人事ではない。何とかできないか」と要請。ありがたい話ですが、でも、放射能が少しでも検出されたら駄目なんでしょうね… 。

駄目なんでしょうね・・・とは何たる言い草。こういうのも、一つの風評被害のもとになる。
「少し検出されたとしても断固やって欲しいもの」。そんなこと言えないのか。

ツイッター上に散見される現場の記者の「つぶやき」「感想」にも激しく違和感感じる。

官邸記者は連日ぼやく。「ぶらさがり、問いかけに応じない。国民との直接対話避けている」って。くだらない。

パケット通信料の無駄じゃ。

2011年11月10日木曜日

奇妙な光景なのだ

福島県議会議員選挙と原発周辺地区の町長選や町議会選挙が今日告示されました。

震災の影響で延期されていた選挙。郡山市は半年遅れで実施されましたが。

県民15万人以上が避難しているという中での選挙。民主主義のルールにのっとり、法を順守するなら、やらなくてはいけない選挙なのですが。

やはり「奇妙な光景」としか映りません。

町長選や町議選。役場が移転したところでは、選挙の“拠点”はやはりその移転した役場。浜通りの選挙が会津地方で第一声。

道行く人は選挙権無し。勢い選挙運動は避難所や避難場所ということになる。

原発のおひざ元、双葉町は役場機能や多くの住民が埼玉県に。埼玉県の臨時役場で受け付け。避難所での選挙運動。散り散りになった住民にどうやって選挙運動をするのか、いや、選挙そのものを周知させるのか。選挙広報は届いても、顔も声も聞けない選挙。

郡山市議選でもそうでした。多くの人が「選挙どころじゃないよ」。投票率は大幅に低かった。

20日が投票日の今度の選挙。投票率はとんでもなく低くなるでしょう。

候補者だって何を訴えればいいのか。原発しかない。誰もが。争点になるのか。思いは同じなのだから。

「半分以上の住民が戻れないと思っているが、帰れる環境を作ります」。それがどれだけ通用するのか。

折しも・・。国は20キロ圏内の警戒区域に「長期帰還困難区域」を設定するそうです。そして、比較的線量の低い地域に生活拠点を作って「2段階帰還」というのをやるとか。
長期とは10年以上、いや、20年以上でしょう。仮に2段階方式が成り立つとしても、どんな「ニュータウン」が出来るのか。

戦後の日本。ニュータウン構想はことごとく瓦解しています。多摩ニュータウン、千里ニュータウン。20年もたなかった。

阪神淡路大震災後、被災地にニュータウンのようなものが出来ました。そこの人が言っています。建物は並んだけど、それは無機質な入れ物としか思えないと。

神社があって、田んぼがあって、墓場があって・・・。そういう物がないと町とは言えない。5階建ての団地が立ち並び、中央の広場にスーパーや学校、公園があっても、やはり「団地」は存続しなかった・・・。

その轍を踏もうとしているような二段階帰還方式。奇妙な光景が出来上がるのか。

答えが出せないままずるずると日がたっていくこの国の現実。

2011年11月9日水曜日

戻りたいけど戻らない

福島大学などを中心にした原発避難者の意識調査。
避難8地域の人たちがのうち4分の1の人が「故郷に戻らない」と答えているという。

この種の調査のたびに、戻らないという人の数が増えていく・・・。

34歳以下の若い世代が5割強だとか。

「除染が困難」「国の安全宣言レベルが信用できない」「事故収束に期待出来ない」などがその理由。

数字だけからは、「あきらめ」が広がっているように見える。

だけど「いつまでも待つ」と答えた人も多い。とはいうものの、生活設計は全く見通しが立たないまま。

避難疲れで追い込まれ、気持が萎えてしまっているのだろうか。

一時帰宅で、「現状」を目の当たりにした時、「こりゃダメだ」。そんな思いに駆られた人もいるだろう。

関係町村の長は「戻れるように努力する。住民をバラバラにしない」とコメントしているが、町村のレベルの問題ではない。

少なくとも、福島県が、その長である知事がはっきりしたメッセージを発していないことの影響が大きいのかと。

訪ねてきた政府関係者に「文句」を言っているだけではすまない。東電に怒ってばかりいても何も事は進まない。

県知事とは、たとえは悪いかもしれないが、一国一城の主。気持ちを萎えさせない、希望をもたせるようなメッセージを発することが出来ないのか。

それは現、前首相に対しても言えることだが。語るべき言葉を持たない城主を持ったことの不幸。

福島県の人口は減り続けている。推計198万9千人。震災前には202万4千人いた人口。3万5千人が減った勘定。
減り続けるばかりとは思わないが。

「戻りたいけど戻らない」「戻りたいけど戻れない」。その心中は「憤」の一字かとも。

復興ビジョンが語られず、希望が見いだせないなら・・・。他に安住の地があるとは容易に考えにくいのだが。

諦めるの語源は明らめる。未来が明らかにされない限り自分で自分の将来を明らかにする以外にないのか。

きのうは亭主主宰の塾。塾生に「被災後の探した言葉」を語ってもらった。
「今を生きる」「あるがままに生きる」という言葉を挙げた人もいた。

だけど塾生は直接的な避難者ではない。家族には避難させている奴もいるが。
彼らが、やがて「諦め」とか「萎える」という言葉を使わないことを祈るのみ。

2011年11月8日火曜日

冬立ちぬ

今年の暦ではきょうが立冬。日差しはあるものの、どこか寒く感じます。

いよいよ寒さの到来です。北海道ほどでは無いにしても、東北地方の冬は厳しいです。その厳しい冬を過ごすため、いろんな準備が始まります。

灯油、タイヤ交換から始まり、着るものも。滑らない靴に至るまで。

今度の冬は節電の冬です。3・11、まだ寒かった時期。停電で暖房かなわず。

その体験からでしょうか。今年はファンヒーターではなく、昔ながらの石油ストーブが売れているようです。在庫払底という店も。

多くの人が、あの小雪の舞う中、一晩も二晩も、津波を逃れ、野ざらし状態で耐えた。

そして、原発避難者含めた「仮設生活」。仮設のつくりは「間に合わせ」。断熱材の使用などほとんど無しでしょう。

エアコンはついていますが、電気代が問題。節電の意識だけは忠実に持つ。隙間風あり。結露はたまる。床からの冷え込みも凄いでしょう。電気カーペット使うのか。

石油ストーブは「怖い」そうです。いつ火事になるかの不安。いったん火がでれば仮設は軒並みやられる。防火装備なんてないのだから。狭い仮設。ストーブにつまずいてなんて光景、十分に予想される。仮設には高齢者多い。

着膨れして体を丸めて、この冬をやり過ごすしかないのでしょう。行政だって、ボランティアだって、完璧な対策は取りようがない。

郡山は風の街です。風が強いところです。多数のひとが居た避難所のビッグパレット。その界隈は特に風が強い。隣接して建てられた仮設。
人は表に出ずに4畳半の部屋にこもるでしょう。人影は見えなくなるかも。

空き地だったところに出現した仮設住宅群。そこを「街」とは誰も呼べない。
被災地に大雪降るな。暖冬であってくれ。そう願ったところで、自然は、気象はその願いを聞き入れてくれるかどうか。

国会はきょうから予算員会。繰り返される「謝れ」「誰の責任だ」。声高に言われる声は被災者をダシにしたような「選挙目当て」の大声にしか聞こえない。
北風と太陽のイソップ寓話じゃないけれど、国会に吹いているのも北風。

寒さに耐えながら、心も冷えてくるでしょう。こころを暖める術も持たないまま、言葉も呑み込んでしまい、怒りすら忘れてしまったような民草がいること。

立冬に思うこの国の現実の姿の一つ・・・。

2011年11月7日月曜日

落ち葉炊き・・・

きのう、近所のご主人が庭の落ち葉を一生懸命集めて袋に入れていました。
庭掃除なんですが。

きょうは木枯らしまでとはいかにものの、風があります。枯れた街路樹。落ち葉が道路を舞っていきます。どこへ行くのか・・。

子供の頃は、それこそ唱歌にもあったように、これからの季節は落ち葉炊きの季節でした。落ち葉を集めてのたき火。たき火の中には焼き芋。

そんな光景はみられません。落ち葉のたき火が「禁止」されているのかどうかしりませんが。

樹も葉も土も。みな汚染されているという認識の中で。行き場を失っている。
「落ち葉が堆肥となるように・・・」。土に落ちたワクラバは雨に打たれ、人の足に踏まれ、腐葉土となる。それが、やがて新芽を出す。
落ち葉には落ち葉の使命がある。
この自然の「摂理」が、これからは壊されてしまうのか。


「風立ちぬ いざ生きめやも」。堀辰雄のこの一語をどう読めばいいのか。
落ち葉に送るエチュードに聞こえる。

「風立ちぬ 今はもう秋 きょうから私はこころの旅人」。昔流行った松田聖子の歌。

その歌を聞いていた亭主も今や濡れ落ち葉。だけど、いろんな風に巻き込まれず、風に流されず、オバカな世間の風は聞き流し、寒立馬のように、この地に立ってます。

2011年11月6日日曜日

霧の中・・・・

今朝は霧が立ち込めていました。ちょっと先も見えないような。普段見る景色が見えない。閉じ込められたような奇妙な感覚。

原発内部の状況も、まさに、霧の中のようで。キセノン検出問題。「正解」はやはり霧の中。新たに生まれた霧。三号機内部の線量いまだ高い、高いとか。

なにがどうなっているのか、誰もさっぱり分かってないのでは。

霧の中にいるように閉ざされたような日々の被災者の生活。先が見えない、前が見えない。

「はやく何とかしてほしい」。訴える先は国や自治体しかない。無理だとわかっていても元の生活に戻りたいと願う、言う。

霧に覆われてしまった国。首相にしても県知事にしても、自治体の長にしても、明快な言葉を発せられない。

だから人々のこころは霧の中に入り込んでいく。まわりが見えなくなって行く。

「言葉は時として人の壁になって、人の心を守ってくれる」。

そんな「守ってくれる言葉」に出会えない。

「日本の黒い霧」。松本清張の名作。その霧はある程度あばかれたが・・・。

今の世の見えない霧・・・。

ある集まりでこう言った高齢者がいた。「放射能は見えないし、匂いもないから怖いっていうけれど、見えたり、匂いがあったりしたらもっと怖い。見えたら逃げ出すさ」。

地図の上では色分けされた「汚染」。体感は出来ない「汚染」。

霧ははれてもらわないと困るんだけど・・。

2011年11月5日土曜日

たまには”笑い話”でも

“その言葉を面と向かった聞いて私は絶句した。「もう、のぞみはありませんよ」。ところがその人が言った。「のぞみはありませんが、ひかりはあります」。それを聞いて私は感激した。それを言ったのは新幹線の切符売り場の駅員さんだったが”。

クスっていう笑いはいいですね。こ話は被災地でももしかしたらウケルかも。

東北の瓦礫めぐってもめている。いったんは受け入れ決めた自治体も続々“拒否”へ。
「自治体の苦悩もわかる」みたいな朝日官邸記者のつぶやき。

都知事がちょっと見たテレビで吠えていた。「ちゃんと測定してもっときてるんだ。危険なわけないだろ。住民の反対・・・黙れって一喝してやればいい」。この男時々良い事言う。

早速取り上げた朝日の川柳欄。

「ときどきは善いこともする都知事さん」。

その石原都知事について田原総一朗と猪瀬直樹が対談している。「本当はあおの人は面白いひとなんだ。時々余計なこと言うけど。作家として自分の言葉を持っている。よく本を読んでいる。自分の言葉を持っているひとはぶれない」。そんな評。

自分の言葉を持った宰相にずっと出会っていない。ずっと、ずっと。

ずっと言葉にこだわってやってきた亭主主宰の塾。もっともっと「言葉」について話し合っていかなければ。

塾の最初の講義のテーマは「初め、言葉は思想だった」。

川柳欄のもう一つ。福井原発めぐる「匿名寄付金」。「本気ならタイガーマスクと書いたはず」。うん、これも戴けた。

そして、かたえくぼという欄。「ギリシャ支援」。憂慮圏です~ユーロ各国~。庶民の言語力高し。

2011年11月4日金曜日

“循環”で成り立っているはずなのに

福島の農業が崩れつつあるー。きょうの毎日新聞にあった記事。表現の問題ではなくその内容。

福島県の中島村。原発から70キロの肉牛農家。たまっていく排せつ物の中で動けなくなった牛たちが、じっと飼い主を見つめている。たしかに、排泄物の中に埋まった牛が飼い主をみつめている写真も。
原発事故により野菜農家が作付けをあきらめ、肉牛農家が堆肥(たいひ)の提供先を失って大量のふん尿を抱えたまま行き詰まっているというのだ。

耕作農家が肉牛農家に堆肥をもらい、代わりに餌となる稲わらを提供するという循環が成り立っていた。ところが今年は原発事故で、農家の多くが春野菜の作付けを見送った。さらに風評被害も重なって耕作意欲を失い、夏野菜の作付けをあきらめた農家も多い。この農家に堆肥を取りに訪れた農家は今春ゼロ、夏も2戸にとどまるという。
汚染された稲わらを牛に与えておらず、堆肥の検査でも問題なしとされた。それでも耕作農家の間には、地元の堆肥を敬遠する空気も生まれているという。

要旨こんな記事。耕作農家と肉牛農家の間で成り立っていた「循環」が崩れた。堆肥の行き場所が無い。

原発だってそう。発電システムは「循環」で成り立っていた。それが壊れ、崩れた。

大量生産、大量消費、大量投棄。そんな経済システムから抜け出そうとして
循環型社会構想が生まれた。
リユース、リデュース、リサイクル。

多くの瓦礫は、その処理をめぐってこの循環も壊した。

人間の体も「循環」。血液の循環。その循環が止まる、壊れると死ぬ。

中島村にとどまらないこの「堆肥処理」問題。死活問題だ。農家も牛も。
「県からはふん尿を牛舎の外に出し、別の場所で適切に保管するよう助言されているが、周囲に住宅が多く、無理に野積みすれば公害になりかねない」と農家は頭を抱える。記事にはそうある。

TPPどころじゃない。今、現在の苦境。県はどうにか出来ないのか。
記事を書いた記者さん。フォローしてください。「再臨界」「自然分裂」も、たしかに大事な報道だけど、この記者が書いているように福島の農業は崩れつつある。

氷山の一角では決して無い。循環という人知が考えだしたシステムは壊れるということの恐ろしさ。

2011年11月3日木曜日

「囲い込み」

岩手・宮城の津波被害による瓦礫の処理が進まない。どこもその処理を引き受けてくれないから。やっと東京都が。都知事の“英断”ということか。
どんどん引き受けますよというけれど処理能力には限界あり。

他の地方自治体。皆、二の足踏んでいる。いったんOKしながら、やはりダメとか。

瓦礫の中に放射性物質が含まれていないかどうかが問題だとか。ばかばかしい。ちゃんと二重、三重に測っているんだよ。

「国がちゃんとした指針をしめしてくれないから」。自治体担当者の言いわけ。市民が納得してくれないから。納得してもらえるよう説得するのが“仕事”でしょ。

多くの瓦礫が野積み。囲い込み。

原発は事故処理の囲い込みにまたまた“失敗”した様子。キセノンとかいう物質が検出されたとかで「再臨界」と報じられ、振り出しに戻るの感あり。
そのマスコミの扱いの大きさ。
再爆発起こしそうな勢い。
で、とにかく東電発表。再臨界ではなく自発核分裂だとか。とにかくあそこは早く囲い込まないと。
福島県の除染。進まない。なぜか。はぎ取った土の持って行き場が無いから。県内でさえ嫌がる。囲い込まれた仮置き場の汚染土。

持って行き場がないから除染出来ない家も。

仮置場。中間貯蔵施設。最終処分場。目途がたたないまま。目途が立つわけない。

「放射能との共生」。日本人である以上うけいれなければならない現実なのに。

「国」という漠然とした、相手が見えない目標に対してその責任を言い募っていてもことは解決しない。

これからずっと、「汚染土」は福島県という行政区画の中に囲い込まれるのでしょう。しかし、その県内だとて。すでにはじまっている持ち込み反対運動。
除染じゃない。移染なんです。移染しての囲い込み。

民主主義国家というのは、こうした重大事があると、「エゴ」が突出。ボールの投げ合いかと。

原発20キロ圏内。飼われていた大量の牛が“捕獲”されて、柵の中に囲い込まれている。餌は与えられているが、もうその牛は、人間にとって本来の牛ではなくなった。使命を果たせず「囲いこまれた牛」は何を思っているのか。

あれから間もなく8カ月。何が進んで何が進んでないのか。進んでないことだけが目立ち。

やがて漂うかもしれない徒労感に、被災地が襲われることを恐れるのですが。

2011年11月2日水曜日

柊木犀のこと

今朝早く玄関のチャイムが。戸をあけてみると。ご近所の犬とそのおかあさん。
犬は大きなラブラドール。名前は「キイウイ」、通称「キューちゃん」。めちゃめちゃ人懐っこい犬です。巨体をゆすって喜びを表現する。

そのおかあさんが持ってきてくれました。ひいらぎ木犀の二枝。キューちゃんの家の庭に咲いている樹です。
「澪ちゃんのお花がさきましたよ。澪ちゃんに供えてください」。

去年の11月に死んだ澪。澪とゲンキは朝の散歩の時によくキューちゃんの家の前を通りました。犬同士が仲良しってわけじゃないんでしょうが、近くに行くとキューちゃんがいつも大声で呼ぶ。数分間のご対面。

我が家では犬が亡くなると「記念樹」を植えることにしています。澪の記念樹は柊木犀。キューちゃんの家の庭にあったし、どことなく似合いそうな花だったから。でも、我が家の庭に植えた柊木犀はまだ育っていません。

それを知ってか知らずか、わざわざ持ってきてくれたお母さん。感謝の一語です。嬉しい手向けです。

亭主のパソコンのキーボードのところに澪の写真があります。時々意味もなく語りかけていることがある。特に何をってのではないのですが。返事はないけど写真の表情が時々違うように見える。きょうは嬉しそうな顔をしている。眼をぱっちり開けている。

柊木犀、銀木犀の季節なのですね。

新聞の歌壇に寄せられていた歌。

「木犀の香にふあんと包まれて放射能からふと離れぬ」。いつも頭の中から離れない放射能のこと。ふと気付いた木犀。樹に花にこころ奪われた一瞬。作者の心は「除染」されたのでしょう。

澪は放射能のことは知りません。よかったのだと。
「どんぐりもきのこたけのこ好きな熊、原発事故を知る術もなく」。これも歌壇に投稿されていた作品。澪はちいさい熊のようだった。ドングリを拾って食べはしませんでしたが。

季節になると必ず季節の花が咲く。花に意思があるのかどうか。農作物も草花も人が話しかけると綺麗に咲くし、おいしく育つという。人間の思いこみかもしれませんが。

自然に「意思」があるのかどうか。地震に津波に「意思」はあったのか。無いと思います。津波に「襲われた」というけれど、津波に人を襲うという意思があったのかどうか。無いと思います。

勝手な自然現象だと。その自然現象に、人間は「想念」を巡らせ、さまざまな感情を抱くだけかも。

多くの命が奪われてのに今年の春も桜は見事に咲いていた。その桜をどう見るかは人それぞれ。

バカバカしい話かもしれませんが、いただいた柊木犀にだって放射能は降り注いだはず。「汚染」されているかもしれない。そんなことよりももっと大事なこと。その花をわざわざ持ってきてくれたこと。柊木犀の葉一枚一枚を撫でました。花に顔をくっつけてその香とかぎました。

何カ月も花や樹に眼が行かなかった。きょうからはちょっと気にしながら、目線を変えてみよう。秋の草花に寄り添ってもらおう・・・。

2011年11月1日火曜日

70億人が暮らす地球

地球の人口が70億人になったという。巨大な数字であり、その影響を考えるいい機会かも。

世界人口が1804年に10億人になったのは1804年。なんと20万年以上かかったという。そして、60億人から70億人になるには、12年しかかからなかった。
10年余りで10億人増えているんですよ。そして、2050年には93億人になるという予測。

学生時代に読んだマルサスの「人口論」によればー。「人口は等比級数的に増加するのに対し、食料生産は等差級数的にしか伸びない」という「マルサスの法則」というのがあった。

食糧不足によって人口が増え続けることはありえないとしていたのだ。
でも、彼は間違っていたのかもしれない。さまざまな科学文明の“進歩”は、農業技術の開発は、生活程度の差こそあれ、飢餓で死ぬ人の率を減らし、あらゆる食糧が作られ、医療技術の進歩は高齢化社会を作り出し・・・。

しかし、いろんな意味で、世界は食糧危機にあることは間違いないのかと。ネオンが輝く街角では、毎夜、多量の食い物が捨てられているとしても。
70億人と食糧問題。

大きな地球の中の点でしかないだろうちっぽけな福島県。日本の食卓に大いに貢献してきた福島県。そこの農作物がほとんど流通しない。1年や2年ならいざ知らず、これからずっと続くであろう「汚染問題」を抱えている限り、日本の食糧事情だってどうなるのか。

TPPとの関係はさておいて。

そして思うのです。東に飢えた子供たちが、干ばつによって何も食べられない子供たちが。
西には「汚染」によって「食品制限」を強いられている子供たちが。
南の国には洪水が襲い。たぶん、食糧問題は深刻になるであろうタイ。北の国では季節外れの大雪が。

70億人が暮らす地球。地球という小さな惑星。70億人と言う人口を地球は背負いきれるのか。
70億人の「意思」とは無関係に地球の動きはなんとなく不気味だし、宇宙も・・・。

比較の問題ではないけれど、人口が増え続ける地球。人口が流出し続ける福島県。日本の人口は減少傾向。

津波で2万人の人が瞬時にして消え、戦争で毎日死者が出て。それでも総人口は増えているということ。

2011年10月31日月曜日

「小さな善意」と「小さな使命感」

去年の暮。まだこの国が「平和」だった頃。一時、「タイガーマスク運動」が大きな話題となっていた。10個のランドセルから始まったタイガーマスク現象。
マスコミは連日その報道に明け暮れ、タイガーマスクはそれに“便乗”するかのように、事前告知まがいのことまでして、日本中をその渦に巻き込んでいた。

動機がなんであれ、それが一つの善意であったことは間違いない。手放しで称賛する気にはなれなかったが。

震災後、タイガーマスクは現れなかった。津波の痕跡の中から数多くのランドセルが泥まみれになって発見され、それをアップで捉える映像に人々は涙したが。

タイガーマスクは現れなかったが、匿名の“善意”が登場した。埼玉の公衆便所に1千万円。青森県でも四千万円。被災4県に送って欲しいと。

匿名氏が何者か。メディアはそれを追わない。いや、もちろん追う必要はないことだ。でもどこか消化不良。

金額が大きいが。小さな“善意”である。その“善意”の報に接すると、なぜかほっとする。あしながおじさんの物語のようにも思える。不可解な部分は多いとしいても。

そしてカネにまつわる話題として言えば、インサイダー取引で妻のせいにしてカネもうけをたくらんで、カネを手に入れた現職の高級官僚もいる。
カジノに会社の大金をつぎこんで平然としている正真正銘の大馬鹿な経営者がいる。

原発事故の風評被害に苦しむ福島県の農家を応援しようと、首都圏の大学生が学園祭で福島県の野菜を売り、豚汁を作ったという。これらの学生のグループ名は「復興のひかり」だとか。

学園祭は短期間で終わるもの。しかし、そこで体験した、小さな善意は彼らの今後の行動に大いに影響するはず。それに参加したことで、得たものは大きいはず。
週末ともなると福島の地に来て「除染作業」手を貸す人たちもいる。

もはやメディアはあまり取り上げなくなったが、ボランティアという名の善意は息ついている。

数か月前に「結成」された「福島原発行動隊」。収束作業を志願する元技術者たちの“善意”。善意というよりも、一つの“使命感”。政府も東電も無視し続けて来た。

しゃにむに福島県入りした行動隊のメンバーは、いわき市の久の浜のがれき処理や側溝の除染を手伝ったといいう。そして、モニタリング講習に参加して、年内には原発周辺の線量調査に参加出来るようになったという。
彼らの使命感の後ろには家族の善意と決断がある。

こういう人たちがいることがうれしい。

小さな“善意”の積み重ね。タイガーマスクだって、小さな“善意”だったのかもしれない。

人の“善意”を語りながら、何もしない、出来ない亭主・・・。

2011年10月30日日曜日

「二極化」ということ

どうも日本人というのは二極化が好きなんだと。都会と田舎。東京と地方・・・。

加害者と被害者。もちろん原発事故は人災そのものであり、加害者は東電と国。被害者は国民という区分けは当然なのですが。

放射能が拡散され、さまざまな問題がではじめてから、どうも福島県民は加害者、その他の地の人は被害者のような意識の区別が生まれ始めた。
意識の区別は差別につながる。

福島県を中心とした農家は、生産者は、本来被害者であるはずなのに、いつの間にか加害者的立場に置かれ、消費者という人達は被害者的感覚を持つようになった。

本来、生産者と消費者は「二極対立」にあるものではなく、共存共栄のはずであったのが。

その根底にあるのが、「悪者」を作りたがるという傾向。悪者を作ってそれを攻撃することでしか物事を解決できないという風潮。
特にメディアに見られる傾向。

農産物の場合、双方がどこかで「折り合い」をつけようとする冷静な意識が芽生え始めてはいるが。積極的に両者の「壁」を取り除こうと行動する人達もいるが・・。

今、話題のTPP交渉。環太平洋経済交流協定。賛成派、反対派の二極化。極論ではあるが、消費者側は賛成、生産者側は反対という構図にまとめられてしまっているような。

お互い、歩み寄る気配とて感じられず。対立先鋭化という感じ。まさに二極化の一つの「縮図」かとも。

「にっぽんは一つ」。その概念は誰しも共有しているのに、さまざまな事案で生まれてくる二極分化。それを基にした論争。時には感情的なものまで。

二者択一的選択を日本人はとかく強いられてきたような気がする。

世の中の空気や流行りもそうだった。でありながら、日和見、ノンポリ人口のなんと多いことか。

原発にしても、TPPにしても、透けて見えるのはアメリカという国の存在。

たまさか時を同じくということだろうが、震災後、この国はちょっと難しい国になったなって思いがしてきていて。

2011年10月29日土曜日

「原発チャンネル」があってもいいのでは

きょうの新聞の一面トップは「完全廃炉まで30年」という記事。世の関心は、すでに今ではなく、先のことに移ったのか。いや、そうではあるまい。
メディアでは、いわゆる「検証もの」が多くなった。そして、その検証物では、当時の政府の、関係者の嘘と欺瞞と不甲斐なさをあぶりだす。もちろん、それも大事なこと、必要な報道なんだけど。

今起きていること、現状。それがどうも関心の外におかれているような。
「何かが起きないと報道人の興味や関心を呼ばない」。

きょうの原発はどうなっているんだろう、なんの作業が行われているんだろう。

東電では毎日会見が行われているようだけど、その内容はほとんど、伝わってこない。会見に出る記者の数も大幅に減ったという。

不具合があった。何かが出来あがった。そんな時にはニュースになったりするんだけど。

少なくとも事故原発は常に放射性物質を撒き散らしている。毎日、何が行われているのか知りたい。

もっとも東電のホームページに行けばわかることかもしれないが。

放射能の問題では毎日が揺れている。どっかに突如「ホットスポット」なるものが現われてみたり、進んでいるのか進んでいないのかわからない除染の問題や。

農作物の測定値も毎日のように公表されているようだ。地元紙には小さな活字が並んでいる。

この前、田原総一朗氏に会った時ににも彼は言っていた。農業従事者の実態をボクはよく知らなかった。もっと伝える必要がある。「原発チャンネル作るべきです」と。

賛成。
例えばNHKのイーテレ、教育テレビ。例えばBS。原発に関する、放射能の問題にかんする、さまざまな情報をわかりやすく伝えてはもらえないだろうか。

情報だけではない。例えば、生産者と消費者が一堂に会した「対話」だってあり。お互いの立場を認識しあい、問題点を共有することが、いたずらに「恐れる」ことだけに終始している「空気」を変えることになるかもしれない。
感情に走る学者ではなく、冷静の事を見極めているような学者・専門家も交えて。

テレビの力。それを次のステップに進めるのが必要なのでは。

いろんな人が、いろんなところで「情報が」「情報が」という。いろんな情報も飛び交っている。でも、まだ「情報」は足りない。それを共有する場がない。

テレビの力の発揮どころじゃないかと思うんだけど。

2011年10月28日金曜日

”仮住まい”の9万人

郡山、ビッグパレットの隣にある仮設のばあちゃんから久しぶりに電話がありました。
「米貰ったんだ。玄米だけどいるかい?」
早速もらってきました。嬉しいです。仮設にいる人から米をもらう。本来は逆の話なのに。
いろいろ不自由してるだろうに。おすそ分けの精神なのでしょうか。長年身に付いた。
逆なんです。逆。ありがたいし嬉しいし。物だけではない。こころも。仮設の人に助けられている。教えられている。
「オレはあんたとの出会いは一生忘れない」って。

地域コミュニティーって何なんだろう・・・。

避難者、被災者の住居。借り上げ住宅、つまりアパートみたいなところに6万人余りが住んでいます。
仮設住宅には2万8千人余りが住んでいます。

9万人が仮住まい。

たとえば仮設。4畳半二間にキッチン、トイレ。食うところと寝るところだけ。
ろくに家具も置けない。

県外の「借り上げ住宅」に行っている人たちも多数です。で、10万人の福島県民がまともな「家」に住んでいない・・。

京都の大地震の後をうけて書かれた方丈記によるならば、住まいは「方丈」。それこそ4畳半一間でいいというこになるわけですが。晩年の鴨長明のように一人暮らしならいざ知らず。

織田信長が言ったとされる「立って半畳、寝て一畳。天下とっても二合半」。至言ではありますが、栄華を極め、大きな城に住み、食は多分贅沢の限りを尽くしたであろうし。

借り上げ、仮設。今のところは2年が限度とされています。2年で帰れる人はどのくらいありやと。

中には大金持ちの人もいて、これまでの住居に見切りをつけ、郡山や会津などのに家を買ったという人もいますが。大半はさにあらずなのです。

通常に戻ったテレビ。さすがにテレビの世界でも、CMは、どこか以前とは変わってきたような気がします。やたら消費をあおったり、大騒ぎしているようなものは無くなった。でもハススメーカーのCMは、たしかに綺麗だし、落ち着くような内容になっているけれど、「終の棲家」と言われるとみている方はなんとなく複雑に。

借り上げや仮設に住んで、テレビ漬けになっている人たちはどういう思いでそのCMを見ているのかと。

朝晩はすっかり寒くなってきました。仮住まいは多分心も寒い。暖房対策、そこそこされるということだけど仮設の寒さはつらいことだと思います。

ストーブで火事で出なければいけど。加湿まで手がまわるのかな。着膨れして転ばなければいいけど。
原子力発電が始まった頃か。巷に流れていた歌。♪狭いながらも楽しい我が家、愛の灯影がさすところ・・・♪。私の青空という歌だった。あの時代ってなんだったんだろう。いま、青空からは見えない恐怖が降ってくる・

2011年10月27日木曜日

「ゼビオ」移転とか・・・

郡山市に本社を置く「ゼビオ」。東証1部上場企業。紳士服の会社でしたが、最近はスポーツ用品の販売大手として知られています。

そのゼビオが本社機能を県外に移転するという話が。メディアも伝え、町の話題にもなっている。

原発事故の影響で海外企業との商談や人材確保などの面で支障があるとの判断だからという。

もっとも今すぐではなく、場所含めて検討中ということらしく、2年以内に結論を出すということらしいのですが。

ゼビオは昔、「サンキョウ」という洋服屋さんでした。初代社長の諸橋廷蔵氏がいわきから郡山に出てきて作り上げた会社。いわきでももちろんサンキョウという洋服屋さんでしたが。

昭和50年代から60年代にかけての話。本社ビル、所在地にちなんで「朝日に灯台」ともいわれました。大きなビルが60年代初めに建ったわけですから。

初代社長の諸橋廷蔵さんは、2003年、ハワイで不慮の死をとげられました。後継が今の社長の諸橋友良氏。女婿です。

なぜか初代の廷蔵氏とは昵懇の間柄でした。夜、自宅近くの飲み屋で飲んでいて電話がかかってくる。「来られないかい」と。「う~ん、今ちょっと」と答えると、「いいよいいよ、忙しいなら」と電話を切る。でもその声を読み取る亭主。来てほしんだ、なんかしゃべりたいんだ。会合抜け出し、彼のいる飲み屋へ。

その嬉しそうな顔。結果は愚にもつかない世間話、よっぱらいのお付き合いでおわるのですが。

いわきの出身でありながら、彼は郡山に骨をうずめました。

裏磐梯に諸橋近代美術館というのを作り、彼が所蔵していたダリの作品を中心にした美術館。ダリの収蔵では世界一かもしれません。商工会議所の副会頭をつとめ、良い意味での異端児ぶりを発揮し、郡山の経済界発展に寄与した人。

地元、郡山とのマメな付き合いを欠かさない人でした。

震災、原発事故での「移転話」。報道によれば本社機能の一部は郡山に残し、四千人余りのパート従業員の雇用も確保するということですが。

噂話が飛び交った頃、知り合いのゼビオ社員に聞きました。「いや、ある意味リスクの分散ですよ。郡山から移転するわけないじゃないですか。現在自家発電装置の設備も建設中だし」という答えでしたが。

報道の一部にはこうあります。諸橋友良社長談。「企業の成長を考える上で、郡山市には再投資できる環境が整っていない」。意味するとこがいまい不明。

たしかに、今は仮設住宅が建っている県有地に本社や総合運動施設をつくるという計画があり、それがなんらかの理由でとん挫したとは聞いていたが。

市との軋轢も背景にあり、「原発」という絶対的理由を口実に「新たな成長」を目指すという思惑もあるのかもしれませんが。

先代社長との交遊も含め、現社長も知らぬ仲ではなし。亭主にとってゼビオという会社には、かっての仕事上のお付き合い含め、思い入れが多すぎる会社なのですが。

6千人近くの社員抱えた大企業が、これから先を考えて「移転」という選択肢をとることは致し方ない経営判断だともおもいうものの。

「あのゼビオでさえ移転しちゃったんだよ。郡山はもう終わりだね」。そんな話が全国各地で起きることの方を危惧する。

郡山の一つの象徴だった三菱のオーディオ工場も地震の影響で半壊。閉鎖だとか。

リスク分散のための一部移転だとしても市の税収に影響大かも。

大震災、原発事故。その余波は、まだまだ広がるのかも。

亭主の着るものは、ほとんどゼビオで購入したものです。

2011年10月26日水曜日

きょうは「原子力の日」

今日、10月26日は「原子力の日」だそうです。原子力の記念日なんだそうです。

昭和39年、政府が決めました。昭和38年のこの日、茨城県の東海村で原子力発電が初めて行われたこと、昭和31年のこの日に日本がIAEAに加盟したことによるものだそうです。

それから48年。織田信長の謡曲「敦盛」の一節ではありませんが、人生わずか50年・・・ではありませんが、原発は50年足らずして終わりの始まりを迎えました。50年・・・。原発がもたらした“繁栄”は一炊の夢の如しなのであり。

戦後の繁栄。たしかに原子力発電が寄与したところは大かもしれません。過疎の村や町が豊かになったのも事実。

原発とカネ。

そのしがらみ。地方自治体の首長の判断は、反対、賛成、ともにわかります。

しかし、これほど大きいリスクはおそらくないでしょう。戦後以来。

戦後と原子力。いまだ、日本は「戦後」を引きずっています。戦後を一つの尺度としています。それは決して「風化」させるということではなく。

「戦後最大の円高水準」。新聞はそう書く。そう、それが1ドル360円の固定相場の時代からであっても、尺度や基準は、やはり「戦後」にたとえられる。

驚異的な復興を遂げた、高度経済成長を果たした。戦争と戦後は、日本の大きな分かれ道だった。

そして半世紀。原発で日本は再び分かれ道に。

TPP交渉にしても然り。国内の様々な分野で、さまざまな人たちが、あっちが悪い、こっちが悪いと口角泡を飛ばせていがみ合っている時じゃないんでは。

平成の新日本列島改造論。それを提起する時じゃないのかな。

もうひとつ。きょうは「柿の日」でもあるという。明治28年のきょう、正岡子規が詠んだ句。「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」にちなんだという。

鐘ですよ。カネじゃない。福島の柿からは汚染が出ているという。家々の庭の柿の木。柿が下がったまま。獲ろうとしない。カラスが群れをなしてついばんで行く。
夕方6時。裏のお寺の鐘が鳴る。防災無線からは♪カラスと一緒にかえりましょ♪の音楽が流れる。遊んでいる子はいないのに。

2011年10月25日火曜日

「不信」に覆われた国

毎月執筆しているタウン誌で引用した言葉なのですがー。

「信というはまかすと読むなり。他の言に任せる故に、人の言と書けり」。
一遍上人の言葉。

その「他の言」が信じられない。「まかせ」られない。今、この国を覆っている空気。

東電の隠ぺい。ずっと続いていたあらゆることの隠ぺい。原子力保安院の隠ぺい。文部科学省の隠ぺい。

隠していたことが次々と明らかにされてくる。隠していたことだけではない。虚偽も。うそつきは信じられない。当たり前だ。

隠ぺいを“暴露”し、それを攻撃するメディア。そのメディアに対しても、「本当のことを伝えててない」と市民は感じている。不信が渦巻いている。

そして、国や行政の言うことは信じられないとなる。

特に問題なのが放射性物質の測定値をめぐる問題。民は“自衛”に走る。食品は買わねばならない。スーパーの店頭に、それぞれの食品に貼られた「測定値」を見て買うか買わないか判断する。半信半疑で。

なぜこれほどまでに「不信」が広まったのか。信という字が不毛になったのか。
ある学者さんが上手い事を言っていた。

「国が国民を信じていないからですよ」と。

情報を公開すれば国をあげてパニックになる。政府や官僚が言い続けて来た論理。そこには“愚民思想”があったのだ。

だから、例えば論語にある「寄らしむべし、知らしむべからず」を「知らせてはいけない」と読み解くのがこの人たち。孔子さまがそんなこと言うわけない。
「知らしむべからず」とは「知らせるのは、わかってもらうのはむずかしい」と読み解くのだ。

セシュウム米騒動で揺れた二本松市。その二本松市にある霞ケ城。おっと、なんと霞だよ。霞が関ではないけれど。
その城の門扉にある“戒石銘”。
藩主の丹羽高寛公が儒学者岩井田昨非に作らせた藩士への戒め。

「なんじの俸(ほう)、なんじの禄(ろく)は 民(たみ)の膏(こう)、民の脂(し)なり 下民(かみん)は虐(しいた)げ易(やす)きも 上天(じょうてん)は欺(あざむ)き難(がた)し」

つまりー。
「お前の俸禄(給料)は、民の汗と脂の結晶である。 下々の民は虐げ易いけれども、天を欺くことはできない。」ということか。

しかし、ここにもある。下々の民は虐げやすいと。官に根付いた思想。

国民は国を信用できない。信じられないという。国は国民を信じていない。

信頼関係ゼロの国。そりゃ不信の連鎖が連鎖を生むでしょうね。じゃ、信じられるのは自分だけ。そうもいかない。自信すら失われてしまっているような。

2011年10月24日月曜日

パソコンの立ち並ぶ”光景”

亭主がパソコンとやらを始めたのは16年以上前だったろうか。ネット通信環境もままならに時代。回線はダイヤルアップ。既存の電話回線。ピポピポピピピ。

それから瞬く間に、あっと言う間に、うっかり昼寝をしている間に、パソコンは社会生活すべてに欠かせないものになった。
もうパソコン無しでは世の中は動かないだろう。

昭和30年代、テレビがあっと言う間の普及しお茶の間を占拠し、すべての情報源となったように。

コンピュータは多大な電力を必要とする。熱を放出する。それを冷やすのにまた電気がいる。その端末としてあるパソコン。
電力会社の運用もパソコンだし、地震の予測測定もパソコンだし、放射線の飛散計算もパソコンだし・・。

郡山に避難してきている町村の仮役場にも建物はプレハブ仮設だけれど、パソコンが林立している。新聞記者もテレビ記者もパソコンで記事を書き、動画を送り。

ネットメディアなるものが出現して、その存在意義を誇示する。ニコニコ動画。放送中にアクセス数が、コメントが瞬時に見られる。
ネット族という名の人達があふれる。

革命もデモも。ネットが呼びかけてはじまる。

新聞、テレビはもちろんパソコンで成り立っているにも関わらず、既存メディアといわれ、フリージャーナリストなる人達が続々と登場し、自由報道協会なるものを作り、我こそがメディアの主流だと豪語する。それに追従する既存メディアで育った人達もいる。

ふと我に帰ると、とんでもない社会に来たような、とんでもない時代に身を置いてしまったような気になる。

どうしても不思議に思えてならないこと。例えば役所。国から地方自治体まで。どこでもパソコン、パソコン。瞬時に事が運ぶ。

大蔵省主計局。予算編成時の主計官達は、その時期になるとソロバンで数字をはじき、毎晩徹夜して予算を組みあげていた。そんな昔の話ではない。ソロバンが大蔵官僚の最強のツール。

いつしか、電卓通り越してパソコン。事務効率は格段にスピードアップされたと思うに。10人でやっていた計算が一人で瞬時に。のはずなのに。
国だけでなく、地方も含めて、企業ももちろん。人は減らない。人の手をパソコンが代わりにやっているんだから。でも減らない。

国家公務員の給料めぐってもめている。役人の給料減らせと。人事院勧告では0,23%減が法案で7,8%減にしようと。
給料減らされたら役人のモチベーションさがるでしょうね。議員さんはそのまま。

やはり人員を減らすべきなんです。あらゆる議員も公務員も。公務員の数減らせば天下りも減る。意味の無い天下り団体も減る。

パソコンで「計算」すれな一発でわかるじゃん。

もっとパソコン活用しましょう。使用するに必要な電気の出元はともかく。そして使わない時はこまめに消しましょう。節電効果大なんだから。

ニューヨーク、ウオールストリート街の公園の中に置かれた二台のパソコン。デモを呼びかけているそうな。デモの様子を伝えているそうな。

パソコンに操られる人間。そしてパソコンで制御出来なくなった人工衛星が空から破片となって落ちてくる。コンピューター制御の無人ロボットが原発2号機の中で「行方不明」になっている・・・。

そしてトルコで発生した地震。おそらく耐震構造の建物など少ないだろう。
死傷者多数とか。

ネットを繰っても、その詳細は明らかでない。救援隊は行ったのだろうか。

2011年10月23日日曜日

二つの“英雄”の話し

リビアのカダフィ大佐はかつて革命を成し遂げ、王制を倒した英雄として称えられた。権力の亡者となった故か。あわれな末路。

独裁者を民主主義が倒した。そんな一語で語れることなのか。

メディアはこぞって言う。「アラブの春」だと。春とは何を指すのか。アラブ地域に春夏秋冬があったのか。新芽が吹く春という季節や事象があったのか。

人類の行為を自然になぞらえるのはいかがなものか。人類が何をしていようとも、何に苦しんで、何に悲しみ、怒っていようとも。自然の行為は無関係なのだと。季節は人の意思は反映しない。

歴史上、英雄と呼ばれた男達の最後を思う。炎上する城で腹を切った男。断頭台の露と消えた男。歴史に名を残した英雄もあれば、歴史から抹殺された英雄もいる。

いっときの英雄は、決して永劫の英雄ではない。

されど、されど。人は時代に英雄を求める。探す。ヒーローを待ち望む。

かつて「英雄」として称えられた男が消えた日、日本ではあらたな「英雄」が、表彰されていた。名付けて「フクシマの英雄」5人。東京電力福島第一原発の事故に立ち向かった自衛隊、警察、消防の代表。スペインのノーベル賞といわれるアストウリアス皇太子賞。

受賞者の一人、当時の双葉警察署長は言う。「福島県警では5人が殉職しています。ほんとうの英雄はこの5人です」と。

津波の中、恐怖に震えながら防災無線のマイクを話さず海にのまれた若い女の子がいた。
中国からの研修生を助け、自らは波にのまれた紡績会社の専務もいた。

職務を全うした。彼らも偉大なる「英雄」なのだと思う。他にもいる。隠れた英雄たちが。

彼我の英雄論を語るに非ず。真の英雄は名もなき人達の中にいるのだと。その人たちの墓碑銘にはぬかずきたいと。墓碑銘が語る言葉があったら、その言に信をおこうと。

2011年10月22日土曜日

“悪意”すら感じる記事

きょの朝日新聞2面(こっちでは)。見出し。巨額予算復興なるか。サブ見出し、3次補正来月中旬成立へ。

12,1兆円の補正予算、これだけ巨額のカネをつけて復興なるかて、どういう意味なんだろう。巨額の予算でも復興出来ないって意味か。とりようによっては、これだけの予算つけたんだから復興しろよとも読める。

リードの結び。震災復興はこれで動き出すのか。

被災地では予算が出来るのを待っている。予算が成立しないと何もできない。

この見出しはまだしも。

関連記事。見出し。計上額すでに3県の総生産に匹敵。基金次々膨らむ予算。

申し訳ないですね。償還期限はまだ決まらないけど、多額の「税金」を、この貧乏な3県の総生産に匹敵するくらいつけてもらって。そんな「嫌み」も言いたくなる。

最初は6兆円だったのが、被災県の要望で次々と予算が膨らみ、あげく。「知事からの強い要望があった」として、福島県向けの復興基金が実現。除染や被曝治療医療センターの整備など、地元の大きな助けになるが、こうした措置の増額などで、さらに1兆円増えたと。

他意はなく、書き方の問題かもしれないけれど、被曝、除染関係で
兆円増えた、予算が増額されたというのが記者さまにはお気に召さないのか。

こっちにすりゃあ、たった1兆円だぞ。それでもまだまだままならぬ。

そして記事の結び。東北地方の金融機関の幹部は「今後、公共事業が本格化し、景気は上向くだろうが、予算が切れたら失速する『復興バブル』にならないか心配だ」と話す。

何処の金融機関の誰だかしらないが、ほんとに行ったのかどうかはしらないが「バブル」を作ったのは金融機関でしょ。懸念があるなら、それを招来しないようにするのが政治でしょ。

道路にしても何にしても「公共工事」がないと復旧、復興には結びつかない。土木重機が動き回らないと何もできない。

無署名の、なんかカネ使う被災地が悪いような書き方の記事。亭主の「僻み」かもしれませんが。

もうしわけございませんね。バブルの心配までさせて。

「国の責任。国の責任」って異口同音に言っていたのはあなたがたメディアでしょ。

後藤新平の震災復旧策。とんでもないカネの大盤振る舞い。それを「快挙」だったとほめそやしたのもあなたがたメディアでしょ。

まだまだ大盤振る舞いまで行っていない。東京の災害だったから大盤振る舞いだったの。東北じゃカネつかっちゃダメなの。

「なんだい、雀の涙ほどじゃねえか」。そうつぶやく避難して仮設にいる古老も。なけなしの預金引き出し、暖房器具買いに行く。

2011年10月21日金曜日

いまだわからぬ放射性物質のこと

きょうも整形外科に行ってまいりまして。混んでます、混んでます。なんでかわからないけど。周りにも肩、首、腰の痛み訴える人多し。

頸椎なんとかという病名いただいた時、何枚エックス線写真を撮ったことか。病院掛け持ちみたいな経過もあったから、多分6枚以上は。

「写真撮ってみましょう」。医者が言うたびに「はい、被ばくします」って毒舌かえす亭主。「いえ、うちのは軽いですから」みたいな返事する医者。検査技師は必ず室外。部屋の前には無断立ち入り禁止、管理区域の表示。

原発爆発当時、毎日テレビの画面に流れていた各地の放射線量のロールスーパー。最後に必ずあったレントゲン検査の何分の一みたいな表記。

放射能過敏症。レントゲン検査を拒否する患者さんもいるとか。検査でわかる病気の数々。癌だって然り。欠かせない医療技術。危険と裏腹なのか。

毎度書いている放射線治療経験者の亭主。たぶんとんでもない被ばく量。癌になる恐れのある放射性物質。癌を治す放射線。

放射線物質、放射能には、さまざまな種類あり。ヨウ素からセシュウムからストロンチュウムから。α線、γ線、X線・・・。何が、どれだけ「健康被害」を及ぼすものなのか。

線量計、ベクレル計。検出された数値の中味は何なのか。ヨウ素は半減期8日間、セシュウムは134や137で違うらしいけど半減期30年とか。半減でしょ。完全に無くなるわけじゃないでしょ。

この前のシンポジュウムでも大学教授が言っていた。「ベクレルの数字じゃなくて中味が問題なんですよ」。でも議論はそれ以上深入りされなかった。質問時間もなかったし。

きちんと、はっきり、丁寧に。だれも、どこも教えてくれない。

大騒ぎになった東京世田谷の放射能騒ぎ。大変な数値を出しているラジウムの上で何人もの家族が生活していた。物質があった場所のすぐ上の部屋で寝ていた住民。今は施設にいるらしいけど、検査の結果、放射線の影響は全く無しとか。

年間1ミリシーベルトでも危険とおっしゃる大学教授。この件でいわく。「そういう人もいるんですね」。

目下言われているのはセシュウムのことか。除染、除染。屋根から断たねばダメ。屋根を高圧洗浄機で。その物質含んだ水はどこへ行くの。庭や側溝にいくんでしょうね。そこはどうなるの。線量あがるの。下水処理場に行くの。

これだけ国を挙げての大問題になっているのに、どうも、その「基本的な部分」がわからない。

亭主だけなんでしょうかね。

今病院は医者は、インフルエンザの予防接種申し込みで混みあっています。

訳知り顔で物言ってる人たちよ。無知な亭主に教えてください。

2011年10月20日木曜日

「バカ」のこだわる馬鹿親爺

きのうの続きみたいですが、いえ、続きなんですが。
「言葉狩り」って言葉が浮かんできました。

平野ヲケシカランと書いた新聞が今朝のコラムではどこか「擁護」するような論調に変わっていました。バカバカしい。

昔、向田邦子さんは「バカが差別用語だというなら、放送作家やめる」と言ったそうな。
「世の中、馬鹿が多くて疲れるわ」と言ったCMが放送中止になったことあったし。

いや~~ん、ばか~~~って女の子に言われて怒る男はいないだろうに。大島副総裁も度っかの飲み屋で言われているのかも知れない(笑)。

新宿馬鹿物語。半村良の名小説あった。遠藤周作は「おばかさん」という小説を書いていた。

「バカ」というのは豊かな語彙を持った日本語。

なぜかバカバカしい話が永田町界隈では見かけられる。

今日から国会が始まりました。議院運営委員会でお達しがあったとか。「天皇陛下出席の開会式にはネクタイを着用すべし」と。江戸では10月いっぱいがクールビズ期間だとか。バカバカしい。

大の大人の服装まで、「国会」と言うところは規定するのか。そもそも、あのくだらないクールビズとやら。襟元はだけた格好で真摯な政治が行われるわけもない。ネクタイするなんてあたりまえじゃないの。

馬鹿、馬鹿、馬鹿。

田舎では「部落」という言葉が平然として日常用語として使われています。
地域を部落と呼んだほうが話が通じる。使っている方には差別意識はみじんも無し。「被差別部落問題」無関係。
テレビで例えば知事が、市長が使うと「放送禁止用語です」とすぐカット。

表現力として豊かな日本語はたくさんあるのに、限られた語彙の中での言葉探しをしないと言葉狩りにあってしまうような。

「がんばろう日本」と言っていれば誰も怒らないけど「がんばるな日本」なんて言ったら「非国民」と言っておこられるんだろうな。

国会の論戦はちょっと先。三次補正成立しないと被災地は困る。それをめぐってまたまたバカバカしい“論戦”なるものが展開されるんだろうな。メディアはいちいち上げ足とるんだろうな。

字にあてられた馬も鹿も怒っているかもよ。

2011年10月19日水曜日

「バカ発言」と「バカバカしい事」と

俺だって死んだ友人に、死体に、遺影に、弔辞で。何回も「バカ」と言ったことがある。親しければ親しいほど「バカ」と言いたくなる。

「俺にこんな悲しい思いをさせやがって。俺より先に逝くなんて。俺にこんない辛い思いをさせやがって。家族を残して・・・」。どんな生き方をしてこようが、どんな死に方をしようが、それに対して「バカ」という言葉を発するしかないのだ。馬鹿と違う。バカ。それは日本語が持つ感情表現として、限りなく許される、ある意味、もっとも相応しい情緒としての言葉なのだ。

可愛がっていた部下。優秀な部下。あえて、愛情を込めて彼を今でも「バカ」と呼んでいる。限りなく親しみを込めて「バカ」と呼んでいた。彼は今でも、電話してくると「バカですが」と自ら名乗る。日本語の奥深さなのだ。

平野復興大臣が、講演で津波で死んだ、逃げ遅れて死んだ友人のことを「バカ」と言った。バカな奴がいたと言った。
その「バカ」という言葉だけを取り上げて新聞記者は問題だと書く。テレビでその発言を聞いた。確かに、あの平野という男、無表情でお公家さまみたいな顔をしているからかもしれないが、「バカ」という言葉に悪意も侮蔑も感じなかった。

逃げ遅れて死んだ友人がいたとしたら、多くの人を助けて自らは死んでしまった。そんな友人がいたら、俺だってそいつに「お前は偉かった、だけど・・バカだ」と言うかもしれない。バカな友人の死を平野は悲しんでいるのだと思う。

新聞記事見て「問題発言だ」と息巻く自民党の副総裁。ほんとの馬鹿はお前だ。人の心情をあげつらって国会で問題にするぞとは。自民党に政権がいかないのはもっともだ。
まもなく始まる国会で、この発言めぐって空転でもさせようものなら、それこそ大馬鹿だ。吉田茂の「バカヤロー」とは違う。

ついにというか、やっとというか。馬鹿ばかしいものが我が家にも舞い込んで来た。

県民健康管理調査。基本調査問診表。

全県民対象に健康調査実施しますって広報はあったから、いずれ来ることはもちろん知っていましたが。3月11日から3月25日までの詳細な行動記録。3月26日から7月11日までの滞在地と定期的な外出先。

毎日、日記をつけているわけでもなし、手帳に書かれた簡単な予定表くらいしか持っていない。覚えているわけないでしょ。

毎年送られてくる市役所からの「介護調査、生活調査」の類。要するに「なんかやってます」という安易な姿勢。「ここまでやりました」というエックスキューズの具。

カネと労力の無駄。本当に調査が必要な高線量地域にその金と労力まわしなさいよ。亭主の家も、事務所も、郡山のほぼ平均的線量地域。

冗談だけど、3月半ばに原発20キロ圏内に行っていたとでも書けば驚いて、何かしてくれるのか。

3月11日の夕刻以降。覚えているのは壊れて散乱した家具の隙間に身をおいて、やっと調達してきたテレビに見入っていたこと。何日間も。原発爆発の映像見ながら愚にもつかないテレビの解説委員の話を真剣に見入っていたこと。
食い物と水を求めてスーパーに開店前から長い行列の中に身を置いていたことくらい。それがいつの何時かなんて、何時間なんて覚えてもいない。

原発避難者の避難所になったビッグパレットにいつから、毎日通いはじめたのかだって覚えていない。覚えている必要もないこと。

記憶をさかのぼるという作業は、当時のことを思い出そうとすること。心理的負担の方が大きい。思い出したくないあの数日間。

「風化させない」ということとは違う。

当からから亭日乗に、通信手段が回復してから、してもらってから、毎日なんかを書いているけど、それは行動記録とは結びつかない。

記憶の中から消し去ってしまいたいことだってある。思い出したくない光景だってある。

差出人は福島県と福島県立医科大学。一応書いてはみるけれどきっと不正確。

除染が大きな問題、課題。廃棄物処理が難問とされているこの時期に送られてきた「健康調査表」。バカバカしいことの一つにしか思えないのですが。

ストレスでまた首と肩が痛んできました。

2011年10月18日火曜日

「ありふれた記者」

きょうは少し長くなりますが、お付き合いください。

朝日新聞35面。連載されている南三陸日記という欄があります。きょうの記事。南三陸駐在という肩書の三浦英之という記者の文です。記事のタイトルは「彼が最も愛した町で」。以下、書き写します。


震災半年が過ぎ、宮城県警の公葬が終わるのを待って、私は殉職したある警察官の自宅を訪ねた。呼び鈴を鳴らして名前を告げると、短い空白があって、扉が開いた。奥さんは涙ぐんでいた。
遺影の前で両手を合わせた後、食卓に招かれ、いつもの場所に腰を下ろした。駆け出し時代の4年間、私はこの家で毎日のように夕食を食べた。何一つ変わらない居間。警察官だけがいない。
「津波の数日前でした」と奥さんは語った。「三浦さんのことを主人は話していました。きっと立派になっているんだろうなって」。その一言で、こらえ続けていた涙があふれた。
弱い女性や子どもを守る仕事を誇りに思い、警察官としていつも全力で管内を駆け回っていた。「職業は違うが、目標は一緒だ」と何度も肩を叩かれた。
数年後、東京本社に異動した私は、気がつくと、ありふれた記者の一人になっていた。だから、ここに来られなかった。今の自分を見せることが怖かった。
最期は女性を助けようと濁流にのまれた、と聞いた。「どうして」と霊前に問いかけ、彼の口癖を思い出した。「悩んだら、なぜその職業を選んだかを考えろ」
南三陸町は生前、彼が最も愛した町だった。「海も人も優しくてな」。今、変わり果てたその町に住み、取材をしながら、彼の言葉をかみしめている。


亭主はもちろん、この記者を知りません。新聞社の中でどういう職歴を経てきたのかも、なん南三陸に戻ったのかもしりません。変わり果てたその町に住み。短期の仮住まいなのか永住をするのか。わかりません。
それらはどうでみいいことなのであって、彼が「自分」を、「ありふれた記者の一人」と感じた時、たぶん、それは、被災地を見て思ったのでしょうが、その「ありふれた記者だった」という自覚が生まれた時から、きっと彼の書く記事は、いままでと違ったものになったのかもしれません。
世の中でもたはやされる、それこそ、ありふれた言葉、「寄り添う」。うわっつらな言葉だけでなく、彼は被災者に、弱いものに寄り添った、本物の記事が書ける記者になったのだと思います。

彼は「ありふれた記者」でいいのです。彼のような「ありふれた記者」が「ありふれた人々」のことを書く。そこから事の真実が見えてくるのかもしれない。自分がありふれた記者であるという自覚に立たない限り、ありふれた人々のことは書けない。

永田町には「ありふれた記者」が横行しています。首相が“ぶら下がり取材”を受けないということを怒り、ありふれた記者どもが集まっている内閣記者会で抗議文を突き付ける。選んだ職業から垣間見える傲慢さ。

ぶら下がりをしないという批判記事の下にある首相動静。内閣記者会キャップと懇談と書いてある。一時間の懇談。その懇談の内容記事は書かれてないけど。

きのうも首相はインタビューに応じている。少なくとも一週間に一度、首相は会見などでメッセージを発すればいい。それが一方通行でありにしても。

リーダーには言葉が必要です。首相は言葉を選びながら、熟慮の上のメッセージを発するべきです。

県も市も町も。リーダーたちが発する言葉は見受けられない。視察に来た閣僚に「文句」を言うだけ。

県民に、市民に発するべき言葉があるはず。その言葉をありふれた市民、県民は待ち望んでいる。待ち望みながら半年以上・・・。

だから“不信感”だけが醸成される。


ありふれた記者だったから、ここに来られなかった。今の自分を見せることが怖かった。正直な心情の吐露。帰ってきた「元ありふれた記者」を南三陸の人は多分暖かく迎え入れるでしょう。夕食を提供するかもしれない。

マスコミ不信に陥っている亭主を少しだけ救ってくれた駐在記者の一文。

そして思う。亭主もかつて、「ありふれた記者の一人」だったと。今は「ありふれた老人」。

2011年10月17日月曜日

笑えない“光景”

郡山在住の知人の女性。都内で車を走らせていた。本人いわく。「私の運転が下手だったらしいんですけど」。信号待ちで停まったら、隣に並んだ車から降りてきた男に「おい、この~福島、ばかやろ~~」ってすごい形相で怒鳴られたとか。
本人びっくり、同乗の子供は泣き出すし。

信号が替わって走り出すと、その子供が言ったという。「ママ、あの車に頑張ろう東北って書いてあるよ」。

笑えない“光景”と。

きのうテレビでやっていた。都電の「花電車」。荒川区を走る唯一の都電。年に一回の花電車。車両を花で飾る。
その花電車の行き先表示板に書いてあった「がんばろう日本」と。
これも都内の一つの“光景”。

がんばろう福島、がんばろう東北、がんばろう日本・・・。そんな「スローガン」が街に以前あふれている。行き交う車にも、そんなステッカーがよくついている。なんか見慣れた光景になってしまった。

以前は、ある種の「連帯」を感じていた車に貼られたスッテッカー。その「励まし」のスッテッカーは、いつの間にか「ファッション」化してしまたのかもしれない。

とんでもない暴走族が若葉マークをいっぱい貼っているのと同じような。

みせかけの「言葉」や「標語」「スローガン」はもうタクサン。もう、いらない。

亭主も車で、ちょっと体力的に無理だと思うけど、東京に行ってみようかな。
もし、怒鳴られたら三倍返しするんだけどな。

首都圏の車の運転は難しいです。慣れていないと。車の流れに乗らなくちゃいけない。地理を知悉していて、的確な進路変更や意思表示をしなければならない。道路は入り組んでいるし、多数ある・・・。
たとえ、カーナビつけていても都内の運転は難しいものなのです。そしてモタモタしていてはいけないのです。それは規則ではなく都内を走る上でのいわばルールといった類の空気なのです。

それとは別にして。「おい、こりゃ福島」って怒鳴り声の中に感じる底意が憎い。悔しくないけど憎い。

震災・原発事故以前から、事故以来から、東京に行った福島県人よ。都会の水になじんでいるのかな。

車ごと東京に避難した人たちよ。堂々と走りなさい。福島ナンバーで。臆するな。

2011年10月16日日曜日

新聞週間だとか

たしかに、昔からもずっとありました。新聞週間。ま、全国交通安全運動みたいなものと思えばいいのか。

新聞週間には新聞に関する「標語」が募集されます。そして「標語」が決まります。標語―つまり言葉の道しるべということなのか。詮索はともかく。

今年もその週間が始まっています。そして代表標語が選ばれた。

「上を向く力をくれた記事がある」。和歌山県の人の応募作品。新聞協会で選定。

やはり今年は震災関係の標語が多かったとか。

この標語。たしかに「新聞人」を励ますものではあるでしょうが。

へそ曲がり亭主は書き直します。「力をくれた記事もある」と。

新聞週間にあわせて「マスコミ倫懇」。マスコミ倫理懇談会が開かれていました。亭主もかつては参加していた時もありますが。
基調講演聞いて、あとは分科会。役にたったような立たなかったような。

新聞週間に合わせるかのように、新聞は震災・原発事故をどう伝えたかをめぐり「検証記事」「検証特集」が組まれています。仔細には読んでいませんが。

どうも斜め読みしてみると、確かに反省みたいなところもあるが、手前味噌、言いわけぽいとことも。

もっと、もっと検証する必要ありでは。特に、まだ「過去」の出来ごとではなく。「現在進行形」の事がらが多々あつのですから。

上を向く。かつて坂本九が歌った「上を向いて歩こう」。それの延長線か。あの歌は「東北から東京の集団就職で上京してきた“金の卵”を励まし、慰める歌だった」はず。

「上を向く」と言われても、どっちが上だかわからない。何が上だかわからない。そんな被災者達のつぶやきも聞こえてきそう。

震災関連報道だけではなく、さまざまな事象に対して読者が上を向けるような記事を期待するのみ。

ほんと、今ほどメディアの資質が問われている時は無いと。

2011年10月15日土曜日

「臭いものには蓋をしろ」

原発1~3号機が今も放出している放射性物質は毎時2億ベクレルだという。事故直後の800兆ベクレルに比べて約400万分に一だというが。

2億ベクレルという数値の意味するところはわからない。たとえ400万分の1に下がっているといっても放射性物質が放出されているという事実はかわりない。

きのうの郡山の空間放射能の平均値。0,81マイクロシーベルト。この数字の中に、今も放出されている物質の影響はあるのかないのか。もちろん郡山市以外でも同じ。土壌、地表汚染によるものなのかどうか。依然、わからないことだらけ。

原発1号機の原子炉建屋にカバー設置工事が完了。無残な姿をさらしていた1号機がクリーム色のカバーに覆われた。予定よりは遅れての完成。フィルター付きの換気装置があり、放射性物質の濃度を10分の1に低減できるという。
3、4号機はなんと来年の夏以降の工事開始だとか。

臭いものはもとから断たねばダメ。臭いものには蓋をしろ。思わず浮かぶ諺。もっとも臭いものには蓋をしろって諺の本来の意味は、失敗や悪事、人に知られたくない事柄を一時しのぎの手段で隠そうとすることのたとえ。なんか相通ずる意味合いもありかと。

昔あったトイレ洗剤のCMのフレーズ。「臭いにおいは元から断たねばダメ」。こっちの方がぴったりくるかな。でも、元はなかなか断てない原発。

元を断たねばと言っても冷温停止になっても断ったことにはならない。気のとおくなるような時日。

いわゆる風評被害も、デマも、過敏症も、元を断たない限り終わらないかも。

閣僚や政治家の資産公開。東電の株持っている人続々。だから「臭い」とは言いませんが。
長淵剛の被災地激励の歌ではないけれど、♪朝起きたら、国会議事堂に行こう、永田町に行こう、しょんべんひっかけて、口笛吹いてお家に帰ろう♪。

ささやかな「プロテストソング」。少なくとも彼は被災地の、原発避難民の子供たちを励まし、勇気づけた。自衛隊員も。

励ます力を持っている奴らを羨ましくも思う。

2011年10月14日金曜日

吾、不明を恥ず

東京世田谷の高放射線問題。結局、民家にあったラジウム。福島県関係なし。原発に由来したもので無し。日本列島総放射能過敏症候群の中での、言ってみれば“笑い話”。

昨日の当ブログ、迂闊にもマスコミ報道や、例の専門家(学者)さんのテレビコメント聞いて、亭主も半信半疑ながら原発事故のセシュウム飛散、ホットスポットと思い込んだ節あり。

過日の塾で、情報リテラシーを説き、メディア報道の信憑性を疑問視し、メディアの特性として、過剰報道、推測、予測報道の傾向に警鐘をとなえたばかりの身が、つい、罠にはまったような。

慙愧にたえません。不明恥じるのみであります。

報道を詳細に検討し、洗浄しても下がらなかった、地表1メートルの方が高いという点に注目すれば、福島県内のセシュウム汚染の傾向と違っていることに気付いたはず。

お詫びに、近くにあるラジウム温泉にでも行って、首、肩の痛み癒しながら浸かってくるか・・。

自らが不明を犯しておいて批判するのもおこがましいが、やはり、メディアには放射線と言えば即原発という刷り込みが完全に出来上がっていたとしか思えない。

塾でも「放射能」と一口でいうけれど、いったいその中味はーーと言ったばかり。線量計が反応しても、その物質が何なのかは判明せず。現場に行った放射線防護学の先生の計測器は物質を割り出す。

線量計が闊歩する中で、さらに進んだ測定機器を持たねばならないという経験学んだ“事件”。

学ぶと言えば、学校でも放射能の勉強をすることになったとか。大人でもよくわかっていない放射能、放射性物質。ヨウ素、セシュウム、プルトニューム、ラジウム・・・。この際だ。しっかり学んで欲しい。

翻って郡山。塾生や親友が居住している地域。限定的なホットスポット。行政が居住地域までも含めて詳細測定とか。避難勧奨地域に指定の可能性を示唆する報道も。

刈り取った稲わらを燃やす光景あり。それを見た、多分、ミニFM局のパーソナリティーと思う女性の“つぶやき”。「煙が多いからきょうはマスクして外出しよう」って。マスクついでに線量計持って、煙の中に手を突っ込んで測ってきてよ。

とにかく、被ばく問題含めて、冷静で、根拠ある報道をもっと心がけてほしい。
わかりやすい情報開示。改めて望む次第。

きのうどっかで目にした。信州大学発表の福島の子供たちの甲状腺異常問題。
小児学会として、データ解析したところ、原発由来と言えないとの声明。多少奥歯に物の挟まったような、遠慮がちな表現あるが。

今、日本人は「試されている」と。

2011年10月13日木曜日

安全宣言は出たけれど・・・

作付が禁止されていた以外の福島県のコメ。きのう本検査の結果、全部が「安全」のお墨付き。出荷可能と。とりあえずはほっと安堵です。
これで今年も美味い新米が食べられる。

我が家の隣にある田んぼ。数日前から稲刈りが始まっていました。持ち主が違うらしく、全部ではないのですが。

4~5人で釜を持って刈っているところもあれば、コンバインで一気にというところも。きょうは刈り取った後の田んぼの地ならしのトラクターが動いていました。

例年ならば、お、ようやくという見慣れた秋の光景。今年は別。作付の時も、刈り入れの時のその光景がやたら嬉しく見える。まだ、手つかず。稲穂が倒れたままの田んぼもありますが。人手が足りないのか。農作業をやっているひとはほとんどがお年寄りです。腰が曲がったようなバアちゃんが数日かかりの野良作業。

郡山市は福島県の中で、最大のコメの産地です。若干危惧していないでもありませんでした。何ミリシーベルトだとか、なんとかベクレルの「規制」にはまって出荷できないのではないかと。

安全宣言は出されたものの。農家は気が気ではありません。要は買ってもらえるかどうか。JAはいくらで買い上げるのか。流通市場ではどんな値がつくのか。

県外だけではない。県内の“消費者”だって買い控えるかも。

買われてなんぼ。食われてなんぼのコメ。

こっちで安堵していたら、あっちでは危惧も。そう、東京の世田谷区弦巻では毎時3,55マイクロシーベルト。横浜港北区のマンションでは195ベクレルのストロンチュウムだと。そして、千葉県船橋市の公園では5マイクロシーベルト測定だと。いつからあったのか、どうして行ったのか、これらの放射性物質。

いずれも市民団体や地域住民の測定結果を行政が追認という形の様子。区役所や市役所は大慌てでしょう。航空機による「汚染マップ」みれば、予想されていたことという人もあり。隠していた。その議論が再燃。国や行政に対しての追及は激しくなりそう。その怠慢を。

でもね、もはやある意味「汚染列島」。物理的に行政の対処は無理な部分も。福島県も然り。除染も測定もいわば官民挙げて。

世田谷や船橋の線量。年間にすれば1ミリシーべルトははるかに超える。国が責任持つ除染の基準値大幅に超える。国は責任をもってやると言った。この国とは。もはや官民の区別なし。国民というくくりにしましょうよ。非難、攻撃してるだけでは問題解決しない。官民一緒に行動出来て、初めて「国」の意味がわかってくるのでは。

2011年10月12日水曜日

年間1ミリシーベルト

ここにきて、除染問題で、「年間1ミリシーベルト」という数値基準が確定したきた。
環境庁の決定。

どうも、この「1ミリシーベルト」という数字の“意味”がわからない。環境庁の発表を書いた記事によれば、年間の被ばく量とある。被ばくとは。すでに体内に取り込まれているってことじゃないのか。年間だから、来年の三月までの積算をいうのだろうが。

除染の基準ということであれば、空間線量とか、地表に付着している線量を合わせたものだろうけれど、毎日「公表」されている空間線量がどれくらいなら、それをどれくらい「浴びた」ら1ミリってことになるのか。

新聞によっては追加被ばく線量と書いてあるのもある。追加の意味は。すでに、事故以前から自然界にあった放射線。それは除かれているのか、合算されているのか。

しかもここでいう放射線量の中味とは。セシュウムのことだけなのか。

詳しくはホームページへということらしい。それをざっと見てもさっぱりわからん。空間線量何マイクロシーベルトを何時間浴びれば。はっきりわかりやすく説明してほしいと。

ホームページへ、ホームページへ。どこか一種の責任逃れのような気がする。理解が難しいことを「記載」してあるということだけで説明は果たされているとでも思っているのか。

学者の意見や政府、行政の発表を、わかりやすくするのが、インタープリンターとしての役目を持つメディアの使命。なのに、わかりやすい解説や図式は、このところお目にかかっていない。
垂れ流し。そして、あとは無意味な非難、批判に紙面や時間を費やしているような。

既存メディアからネットメディアまで。ツイッターからフェイスブックまで。世の中、情報にあふれている。真偽や正当制はともかく。情報過多ともいえる時代。だけどねーー。少なくともパソコン持っていて、それなりの操作能力ある人ってどれくらいいるの?

パソコンない高齢者家庭はうじゃうじゃある。仮設住宅だってそう。市役所の広報誌は月一回。せめて回覧板ででも、あまねく知らせるべきじゃないのか。放射能下の暮らし方や数字の読み方を。

高度情報化社会の中にあって、情報過疎の人たちがいることお忘れなく。既存メディア、新聞・テレビの使命だと思うのだが。

週刊こどもニュース、復活しないかな。
中身や意味がよくわからないまま、「数値」だけが独り歩きしているような。

2011年10月11日火曜日

あれから7カ月

大地震、大津波、原発爆発。
そう、あれからきょうで7カ月。210日以上。

時間軸は、時間の哲学は人によって違う。1分という時間は誰にとっても1分であり、1時間は誰にとっても同じ1時間なのだけど。

嫌なことの時間は長くかんじるのか。楽しい事の時間は短くかんじるのか。

原発周辺は、事故当時の惨状がほとんどそのまま放置されている。時間は止まったままと言っていいだろう。

きのう、常磐線の久の浜駅と広野駅間が開通したという。

避難所はすべて閉鎖された。「格差」はあるものの、仮設や借り上げ住宅など、仮の住まいは出来あがった。それを喜ぶ人も、嘆く人も。

うずたかく積まれたがれきの山。行方は皆目見当もつかない。

福島ではようやく除染が、健康対策が緒についたような。

すべてを遅しとみるか、ようやくと見るか。

テレビはもはや何事も無かったかのように、若い女の子が歌い、踊り、お笑い芸人の類がなにやらはしゃいでいる。“番組”の話しだけど。
こんな番組を見ているのはつくづく時間の無駄だとも思う。

取り返せない時間なのに。

亭主にとっての7カ月。震災そのものはずいぶん前のような気がしてくる。しかし、現実。放射能が降る中で、放射能が沈殿したなかで、それと闘っている人達、それらと「共生」を余儀なくさせられている人達と、きょうも話し合っていく。

7カ月。何が変わって、何が変わらなかったか。元に戻ったのか、元に戻ってないのか。堂々巡りのような思考・・・・。

「人々の悲しみや苦しみを癒してくれるのは歳月。それを日にち薬という」。そう言っている仏者もいる。果たしてこの一語ですべてが納得できるのか・・・。

新たな問題も次々と浮かんでくるようでもあり。

2011年10月10日月曜日

「安心材料」なのだ

人間、60歳も過ぎると、いや、40歳かな。からだのどこかには“異変”が生じるものです。高血圧、糖尿などなど含めて。

企業では社員の健康診断や人間ドッグを義務付けています。多くの知人、友人がよく言います。「健康診断が近いから酒はやめておく。塩分も控えめにしている」と。診断の結果「異常なし」。その晩から大いに飲み始める。たらふく食う。

そんな人、周りにいませんか。いや、あなた自身も。いつものように生活していて「検査」というのが正しい値の意味だと思うのですが。

「異常なし」のお墨付きをもらうための健康診断、人間ドッグ。

亭主も企業人の時は「半強制的」にドッグに行っていました。生活習慣、全く変えずに。幸い異常無し。

通常、病気の症状が無い限り、健康診断は「安心材料」を得るためのものなのなのです。検査によって癌が発見されたって例もありますが・・・。

福島県のこども達、18歳以下。36万人対象にした甲状腺検査がきのうから始まりました。
超音波による放射性ヨウ素の検査。甲状腺の異常検査。もうとっくにヨウ素は無くなっている。原発事故から8日間の被曝の問題。

異常が有れば検出されるのは4~5年後といわれるが、いち早く知りたいという要望での検査。検査することにこしたことはありませんが。

とにかく親は子供が大丈夫かどうかの「安心材料」が欲しいのです。そして検査は生涯継続して行われるということです。「もしかしたら・・・」。そんな不安を子供たちは大人になっても持ち続ける。屈託のない笑顔で検査している子供たち。内心は・・・。

線量の数値はともかく、もうすでに「被曝」してしまっている。その現実を親は冷静に受け止めないと。親としての不安は噛みしめてこらえ、子供にやたら「不安感」によるストレスを与えないこと。それが肝要かと。
過日の鎌田實先生による福島の子供100人にたいする検査結果。何人かに“異常”ありとか。今度の事故が原因かどうかは不明と。誠実な情報公開だと。

それを聞いた、知った“専門家”さんの一部が、“曲解”しての危険論展開。鎌田先生、不本意かも。

“病気”を発見するためではない。安心材料を提供するための検査、検査、ガラスバッジ。福島の子供たちの現実。